人影消えた「退避」の街 がれき放置、捜索進まず

福島・南相馬ルポ 

日本大震災による県内への避難者は約3000人に上り、うち半数を福島県南相馬市の住民が占める。原発事故で同市は避難指示や屋内退避区域となり、住民は地震前の7万人から2万人にまで減った。静まり返った街に入った。(竹内元、写真も)

 「原子力災害対策特別措置法により、立入禁止」。看板の向こう側は原発から20キロ・メートル圏内の避難指示区域。見渡す限り人はいない。

 20キロ・メートル圏外の市街地も、人影はまばらだ。自分の足音とスズメの鳴き声が不気味に響く。復旧のメドが立たない鉄道の線路の上で犬がさまよう。横たわる乳牛。断腸の思いで放置して逃げた畜産家も多い。

 南相馬市は、原町市と小高、鹿島町の3市町が合併し、2006年に誕生した。夏場になると、海水浴客でにぎわい、漁港ではホッキ貝とサケも水揚げされる。だが、原発事故が街を一変させた。

 街は、半径20キロ・メートル以内、同20~30キロ・メートルの屋内退避区域、同30キロ・メートル圏外の三つに分断された。屋内退避区域の住民も3月25日からは自主避難を促された。街の至る所に貼られた、夏の風物詩「相馬野馬追」の7月の開催日を知らせるポスターが突然の悲劇を物語る。

 住民の多くが買い物に訪れていた国道6号沿いの市街地を歩くと、大型のスーパーやコンビニ、ガソリンスタンドなど、すべての店のシャッターが閉じていた。南相馬市には現在、20キロ・メートル以内に約30人、20~30キロ・メートル圏内は約1万人が残る。住民には、水や米など必要最低限の食料が配給されるが、市の担当者は「今後も安定的に供給できるかは不透明だ」と声を落とす。

 家族と街に残った警備員早川明宏さん(58)は「店がないので買い物ができない。仕事もなくなった」と苦笑いした。近所の人たちが街を離れ、一度は気持ちもぐらついた。それでも「放射線量は福島市よりも低いから大丈夫。ここで生きてきたから離れるわけにはいかない」と話した。

 避難指示区域の境界線にある原町区小浜の集落から区域内をのぞくと、国道上ですら、がれき除去作業は進んでいないことが分かった。堤防は決壊し、海水が流れ込んでいた。田畑には漁船や乗用車が無残な姿をさらし、全壊した家は数え切れない。

 市内では空き巣が多発している。自主的に巡回していた男性は遠くを指さし、「あそこにも数十以上の遺体があるだろうが、そのままだよ」と嘆いた。避難指示区域内に捜索車両が入らないため、遺体捜索は進んでいないのだ。

 実家の様子を見に来た宮城県亘理町の瀬川利行さん(58)は、友人や妻の姉が行方不明だ。避難指示区域内で津波に襲われた可能性が高く、捜索は行われていない。自らできることは、遺体安置所2か所に毎日足を運ぶことだけだ。

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