7兆円をチラつかせても中国を止めることはできない

2018年APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議(11月17日、18日)は、歴史を振り返ってみても、また将来を占ってみても、ポートモレスビー(パプアニューギニアの首都)という象徴的で暗示的な地点で開かれたものだ。貿易戦争の渦中にある米中両国が真正面から激しい舌戦を繰り広げたという側面もさることながら、やはり印象的だったのは新たな世界秩序を構想する国が世界の超大国に挑むという構図が再演されたことである。偶然の一致というには、あまりにも出来すぎのようにも思えるのだが。

 いまから70有余年前の日本は、大東亜共栄圏を引っ提げてアジア新秩序の構築を打ち出し米国と真正面から対決した。太平洋戦争である。南太平洋の要衝のポートモレスビーを押さえれば、南太平洋方面からの米豪両軍の進出を阻止できるし、西太平洋全域での戦いの主導権を握れる。だが日本はポートモレスビーを失ってしまった。南太平洋方面を完全制圧された日本は、やがて太平洋戦争に敗れ、大東亜共栄圏は儚くも潰えた。

 そして今、米国に挑むのは一帯一路という新たな世界秩序を掲げる中国である。ポートモレスビーは、今後の国際政治の主導権を巡る米中両国による角逐の場となったのである。

「7兆円」で中国を牽制したアメリカ
 APEC首脳会議初日の11月17日、会議に臨んだ両国首脳の間では早くも激しい応酬が見られた。

 中国の習国家主席が「歴史が示すように、衝突は冷戦、武力による戦争、貿易戦争のいずれの形であっても、そこから勝者は生まれない」と中国への圧力を強めるトランプ政権を牽制し、「経済・貿易の保護主義政策は世界経済のバランスを崩し、健全な成長の妨げとなる」と非難するや、会場からは拍手が起こったという。これに対して米国のペンス副大統領は「米国は長年にわたって中国につけ込まれてきた。だが、そんな時代は終わりだ」と、まさに喧嘩腰で応じた。

「米国は相手国を締め付ける“帯”や一方通行の“路”を押し付けたりしない」と習近平政権が世界各地に展開する一帯一路を標的に、7兆円(最大600億ドル)規模のインフラ投資資金の提供を申し出る。「我われは相手国を借金漬けにはしない」と、一帯一路関係国に過重負担を強いる中国による“融資”を強く非難した。さらにオーストラリアと共にパプアニューギニアのマヌス島にある海軍基地増強に協力する旨を明らかにした。中国による南太平洋の島嶼諸国への急接近を抑え、中国が強行する南シナ海の“内海化”に対する牽制策であることは間違いない。

 この時、米中両国首脳の頭の中に、太平洋戦争緒戦のポートモレスビーを巡る攻防で勝利を収めた米軍が、南太平洋を押さえ、やがて日本が掲げた大東亜共栄圏構想を打ち砕いた歴史は思い浮かんだだろうか。

「中国の進軍」を止めることはできない
 今春以来、トランプ政権の対中姿勢はエスカレートする一方だが、米中2国間関係の現状、APECでの“舌戦”に加え、APEC直前のシンガポールで行われたASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議などにおける関係諸国の動きから、我が国メディアの一部には、「米国は対中100年戦争を覚悟した」「この地域に米国が本格復帰し中国包囲網を構築することで、一帯一路の挫折は必至だ」などといった報道が見られるようになった。

 だが、現状から冷静な判断を下すなら、政治・経済・軍事・メディアを含め、この地域の国際関係の主導権を握るのはワシントンではなく北京であり、この傾向を後押ししたのがアジアにおける米国の長期にわたる“不作為と不在”にあったことは、敢えて説明するまでもないはずだ。もちろん1989年に起こった天安門事件の後遺症を克服するために、中国が雲南省を軸に西南地域の国境を南に向って開け放ち、陸続きである東南アジア大陸部のミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ヴェトナム、マレーシア、シンガポールといった国々に対して営々と力を注いできた事実も忘れてはならないのだが。

 いわば中国は漢族が長期にわたる歴史の歩みにおいて進めてきた“熱帯への進軍”を、着実に再開させたのだ。だからこそ米国が「7兆円(最大600億ドル)規模のインフラ投資資金」をチラつかせようとも、自ら招いた劣勢を早急に挽回し、ASEANと中国の間にクサビを打ち込むことは至難と言わざるをえないのである。

「自国ファースト」が優先されるASEANの現実
 いまASEAN各国の国内事情に目をやるなら、3人の息子(長男=3軍統合参謀長・陸軍司令官・首相身辺警護部隊副指揮官・国防部反テロ部門統括官、次男=陸軍情報総局長、3男=与党・カンボジア人民党青年運動部門統括)に娘婿(国家警察副司令官)で防衛・治安部門を固め長期安定政権を維持するフン・セン首相率いるカンボジア以外、いずれの国も安定政権とは言い難い。ここで政権の内実は問わない。

 遠い将来はともあれ、近未来を想定するならASEAN各国の政府が最優先するのは、やはり国内政治の安定だろう。安定政権を構築し、社会の安定を図ることで海外からの資本と技術を導入し、経済発展を軸に国内社会建設を目指す。おそらく、それ以外の選択肢はないだろう。

 加えて、かつてASEANをリードしたスハルト大統領(インドネシア)、リー・クワンユー首相(シンガポール)、マルコス大統領(フィリピン)、プレム首相(タイ)など内外に影響力を行使し、地域全体を見据えることのできる指導者は、現状では見当たりそうにない。マハティール首相(マレーシア)も、これら指導者と共にASEANを糾合し域外大国に立ち向かったことがあるが、すでに93歳である。加えて前政権の残した財政再建という大仕事が待っている。国内政治最優先だ。

 であればこそ、加盟国が一体となって域外諸国に対処しASEAN全体の利益を図るという本来の理想の実現は困難に近いのである。

 ASEAN全体を統合するような指導者の不在に加え「自国ファースト」に突き進む各国の姿勢――各国が抱えたこのような事情を熟知しながら、“熱帯への進軍”は続く。

中国が主導する「メコン川警備」の実態
 APEC首脳会議閉幕から3日が過ぎた11月21日、東南アジア大陸部を縫って流れるメコン川中流部に位置し、ゴールデン・トライアングルと呼ばれる中国、ラオス、ミャンマー、タイの国境が接する一帯で、関係4カ国武装部隊による共同治安訓練が行われた。

 じつは2011年10月、この地域で発生した中国人船員殺害事件を機に、中国の温家宝首相(当時)は電話でタイのインラック首相(当時)に対し「メコン川の安全航行を確保するための共同機構を中国・タイ・ラオス・ミャンマーの関係4カ国で立ち上げるべし」と提案している。この提案にタイのみならず、ミャンマー、ラオスが応じ、中国主導による4カ国共同のメコン川流域警備が始められ、今年で7年目を迎える。

 当初は航行の安全、麻薬密輸対策などを目的にした共同警備だったが、現在ではテロ、不法出入国、誘拐、人身売買、ネット犯罪などに対策項目が拡大している。関係諸国の一般国民による往来が頻繁になったということだろう。

 シンガポールの華字紙『聨合早報』(11月23日)によれば「今演習はメコン川流域全体に認められる潜在的危険、ことにラオス領内の極めて敏感な地域を想定して実施された」(雲南省警備当局者)とのこと。

 たしかに小さな事例ではある。だが、中国は東南アジア内陸の一角で7年に亘って関係3カ国を従えて河川警備を進めているのだ。中国はメコン川を、東南アジア大陸部をネットワークする物流の幹線ルートに据える。つまり、メコン川警備は一帯一路の一角を形成しているのである。

「高速鉄道建設」を巡る中国とタイの思惑
 メコン川で4カ国による共同演習が実施された2日後の11月23日、バンコクではタイ国内の高速鉄道建設に関する中タイ両国合同委員会が開催された。タイ政府で最初に中国との合作による高速鉄道建設計画に積極姿勢を見せたのはアピシット(袁順利)民主党政権(08年12月~11年8月)だった。

 以来、会合を重ねること現在までで26回に及ぶ。この間、高速鉄道建設計画はタクシン派対反タクシン派の政争に巻き込まれることなく、両派の政権は共に中国との交渉に前向きで望んだ。だが2014年にクーデターで成立したプラユット現暫定政権は、中国との交渉を打ち切り、タイ独自の高速鉄道建設を打ち上げる。

 だが、その間も両国の交渉は継続していたようだ。2016年9月、G20出席のために訪れた杭州で習国家主席と会談したプラユット暫定首相は、「タイと中国の間の高速鉄道プロジェクトは様々な理由から遅れがみられるが、タイ政府としては建設は必要と考えており、多方面から総合的な検討を加え、最も妥当な選択をする」と語り、中国の協力・支援による高速鉄道建設の必要性を訴えたのである。

 かくて昨年12月21日午後、東北タイ最大の都市で知られるコーラートにおいてタイと中国の合作による高速鉄道建設第1期工事の起工式が行われた。起工式は行われたものの、その後、工事が進捗する様子はない。だが工事計画が取りやめになったわけでもない。

 じつは、これまでも両国の代表者が参加して起工式(のようなもの)は複数回行われている。だが、その先には一向に進まない。それというのも、彼らの交渉は「談談打打・打打談談」――話し合いながら撃ち合い、撃ち合いながら話し合う――テーブルを囲むのは現場(戦場)での戦いを有利に進めるため、会談に臨むのは戦況を有利に持ち込むため――を基本としているからだ。自らに有利な条件を引き出すまで、話し合いは最後の一瞬まで続くのである。やや戯画化して表現するなら、ゲタを履いてからが本当の交渉なのである。

 タイからするなら経済建設のためには、国内をネットワークすると共に経済大国である中国との鉄道による流通ルート建設は必至である。一方の中国からするなら、中国が主導する東南アジア大陸部の鉄道ネットワーク建設は一帯一路にとっては至上命題であり、その鉄道ネットワークの要はタイだ。タイを除いた一帯一路は意味をなさない。

 中国とタイの双方にとってタイを南北に貫く高速鉄道は将来的には必要不可欠である。そこでタイは可能な限り中国から譲歩を引き出し、安上がりで工事を完成させたい。一方の中国は“出血”を最小限に押さえたうえで雲南省の省都である昆明を起点に、ラオスを経てメコン川を越え、タイを南北に貫きバンコクまで結び、そこから南下させて将来的にはマレーシアを貫きシンガポールまで繋げたい。

 23日、プラユット暫定政権で最も熱心な高速鉄道建設論者で交渉の最高責任者であるアーコン交通大臣は26回目の交渉結果を明らかにし、最後のネックとして借款利子問題を挙げた。中国側の提示する3%に対し、タイ側は飽くまでも2.6%を求めているとのこと。来年2月には第1期工事(バンコクから東北タイの中心都市であるコーラートを結ぶ全長152km余)の入札を実施するとの方針が打ち出された。

 これまでの交渉の経過からして、26回目の交渉結果が予定通り実施されるとは思えない。利子問題で暗礁に乗り上げる可能性は高い。だが交渉の歴史を振り返れば、中国主導による東南アジア大陸部における鉄路・陸路・水路・空路による物流ネットワーク建設が遅々とした歩みながら進められている事実を認めざるをえないのである。

 * * * 

「一気呵成の業は我人民の得意ならんなれども、此熱帶國にて、急がず、噪がず、子ツツリ子ツツリ遣て除ける支那人の氣根には中々及ぶ可からず」(「暹羅に於ける支那人」『國民新聞』29(1896)年12月15日)とは、日清戦争前後にシャム(現在のタイ)に渡りバンコクにおける華僑の生態をつぶさに眺めた宮崎滔天の述懐である。

 東南アジアを巡って、中国は「一気呵成の業」で動いているわけではない。「急がず、噪がず、子ツツリ子ツツリ遣て除け」てきたのだ。ならば、これからも、そうするだろう。今こそ我われは歴史と冷静に向き合い、現実を冷静に見直すことが求められているに違いない。

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