江戸の名残「半蔵門」54年前の都電 名前の由来は「服部半蔵」から?

2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、江戸城甲州口といわれた「半蔵門」の都電だ。

【半世紀が経過しても半蔵門付近の美しさはそのまま? 現在の写真はこちら】

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 ジョギングのブームもあり、皇居周辺は夜になってもランナーを多く見かける。皇居の門の一つ「半蔵門」周辺の静謐(せいひつ)な場所も、ランナーの蹴上げる音と息づかいが聞こえてくる。

 振り返れば1993年、皇太子さまと雅子さまの結婚の儀での御成婚パレードも、ここ半蔵門周辺は皇居前広場から赤坂迎賓館方面に向かう道筋となり、沿道には祝福する多くの人々で賑わった場所だ。

 この地に鎮座している江戸城の東と南は低地だが、西と北は山手の台地と地続きの地形だった。そのため、西には深い内濠と外濠を巡らせ、北には神田川を開削させて外濠として防備を計った。ことに麹町の台地が迫る西側は、江戸城防衛のウイークポイントであった。したがって、甲州口門外の四谷に通じる街道沿いに伊賀忍者の棟梁「服部半蔵正成」に屋敷を授け、服部家の配下である与力30騎、同心200名の組屋敷を置いて警備に当たらせた。「半蔵門」の名が、この「服部半蔵」に由来している、といわれる説だ。

 また、江戸城の内曲輪には和田蔵、馬場先、日比谷、外桜田、半蔵、雉子橋、竹橋、清水、大手の10門があり、半蔵門はそのうちのひとつ。半蔵門の北側の内濠を半蔵濠、南側を桜田濠と呼んでおり、緑と水辺に囲まれた風光明媚な景観は、都民に親しまれている。

 第二次大戦の空襲で旧来の半蔵門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものだ。

 半蔵門付近に路面電車が敷設されたのは明治期で、半蔵門線(半蔵門~日比谷公園)が1903年11月に開業。新宿線(半蔵門~新宿駅前)もほぼ同時期の1903年12月に開業している。続いて、番町線(九段上~半蔵門)が1905年12月に開業した。いずれも東京市街鉄道による敷設で、街鉄時代は新宿駅前~築地~両国、新宿駅前~半蔵門~九段下~両国など、同社のドル箱路線として運行されていた。

 昭和期に入り、16系統新宿駅前~半蔵門~築地の時代を経て11系統に改番。戦後も新宿駅前~月島の運行で11系統を継承して、1968年の廃止まで走り続けた。

いっぽう、戦後の番町線には10系統渋谷駅前~三宅坂~半蔵門~九段上~須田町が運転されていたが、東京オリンピック関連の高速道路工事進捗による迂回運転が始まり、同線は1963年10月に廃止されている。

 写真は、麹町警察署前の路上から半蔵門を背景とした構図で、11系統新宿駅前行きの都電を狙った。門内の吹上御苑の杜を都電の背景にするため、アサヒペンタックスSVにタクマー200mmF3.5の望遠レンズを装填して構図を整えた。同じ場所から標準レンズでフレーミングすると、後方の杜は背景としてパースが高くならないからだ。フィルムはコニパンSS(ISO100)を使用。露出ワークは1/250秒のシャッタースピード・絞りはf5.6、と記憶している。

 当時「歳不相応な機材を使い生意気だ…」と陰口を叩かれたこともあったが、この200mm望遠レンズは、筆者の鉄道写真に新しいイメージを授けてくれた優れものだった。都電の真後ろの門前に、警視庁の警備用トラックが駐車している。画像を拡大してスタイルを観察したところ、以前に「両国駅前」編でも紹介した「1959年式・いすゞTX型」トラックの同系車と分析できた。

 余談であるが、大正期の市街地図を見ると画面右側の街区が麹町区山元町で、画面左側の街区が同元園町になっている。(撮影時の付近一帯の住所は千代田区麹町で、現在も不変)。半蔵門から264m新宿寄りの麹町三丁目停留所(後日麹町二丁目に改称)も、電車道両脇の町名は山元町と元園町だった。名実ともに麹町町内の停留所となるのが、麹町三丁目から323m先の麹町六丁目停留所(後日麹町四丁目に改称)であることが、マップリーディングで判明した。

 写真の左側にあたる半蔵門交差点の西北角には、写真館の老舗「東條会館」が建っている。ポートレートの名匠と謳われる東條卯作が明治期の1912年に写真館を開業。肖像写真やお見合い写真など、幅広い顧客を獲得してきた。現在、旧東條会館のビルは東京MXテレビとの共同ビルに建て替えられ「半蔵門メディアセンター」として面目を一新した。伝統の肖像写真は複合施設「ONE FOUR TWO by Tojo」の「東條・フォト・スタジオ」として盛業中だ。

 ちなみに、この界隈は写真とのゆかりが深く、近隣には日本カメラ財団が運営する「JCIIフォトサロン」や「日本カメラ博物館」、日本の写真関連団体の「日本写真協会」、プロ写真家団体である「日本写真家協会」などもある。ここ半蔵門は、写真文化の香りを感じさせる街でもあるのだ。

■撮影:1964年5月10日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数。

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