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zoom RSS 西武ライオンズとの日本シリーズでドラゴンズファンに蹴られた!

<<   作成日時 : 2018/12/18 08:10   >>

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“野武士野球”と呼ばれた豪快な試合ぶりで、1982年(昭和57年)のセ・リーグ優勝を勝ち取ったドラゴンズは、広岡達郎監督率いる西武ライオンズとの日本シリーズに臨んだ。中学校の職員室で休み時間に夢中でテレビ中継を見た秋から実に8年。
取材者という立場でも、ドラゴンズの日本シリーズに関わることになった。

苦戦で始まった日本シリーズ
シリーズの開幕は本拠地ナゴヤ球場。しかし第1戦は小松辰雄投手が西武打線につかまり完敗。第2戦はドラゴンズが都裕次郎投手、対する西武はのちにドラゴンズに移籍した杉本正投手と、両左腕対決となった。しかし、都投手は石毛宏典選手の打球が足に当たり、わずか6球で降板。続く投手が西武打線に打ち込まれ、2回を終えたところで、6対0で西武がリードしていた。
この時点からナゴヤ球場は不穏な空気に包まれたようだ。

ドラファンに蹴られたドラファン
その日、私は勤務日だった。比較的平和な日曜日で、先輩たちと会社近くで昼食を取った後、名古屋市内で「国際交流イベント」の取材に出かけた。
帰社したところ、「ナゴヤ球場がヤバい」という情報が持たらされる。ドラゴンズの不甲斐ない試合ぶりに怒ったファンが、スタンドからグランドにモノを投げ入れ始めていた。ビンや紙コップ、食品などヤジと共に、それは留まるところを知らなかった。
当時カメラマンの私はENGというテレビカメラを抱えてナゴヤ球場へ向かった。
7対1でドラゴンズが破れゲームが終了すると、ファンの怒りは頂点に達した。
レフトスタンド奥に停められた西武ナインのバスを取り囲み、叩いたり揺らしたりし始めたのである。
私はカメラマンとしてその暴動を撮影していた。すると、ファンの一人が、「何を撮っているんだ!」と私の尻を蹴り上げた。
「同じドラゴンズファンじゃないか!何をするんだ!」
と思わず怒鳴り返していた。
私の元へ、警備に当たっていた愛知県警中川警察署の警官が飛んできて、すぐに被害状況を事情聴取させてほしいと言ってきた。私の証言によって、“暴徒”を立件できるからである。
しかし、尾てい骨の痛みを我慢しながら、私はこう言った。
「お断りします。私もドラゴンズファン、気持ちは同じですから・・・」

たとえ蹴飛ばされたからといっても、同じドラゴンズファンを“裏切る”わけにはいかなかった。
私が撮影した騒ぎの映像は迫力満点であり、夕方のニュースで全国放送された。デスクにも褒められた。しかし、連敗のショックと共に同じ竜党に蹴られたショックで私の心は晴れなかった。

「石ころ事件」で流れは変わった
日本シリーズは、舞台を西武球場に移した第3戦、第4戦とドラゴンズが連勝。
ナゴヤ球場でのあの暴動は何だったのかと思えるほどご機嫌なドラゴンズファンたちを再び怒らせたのが、2勝2敗のタイで迎えた第5戦だった。
3回2アウト2塁のチャンスから、平野謙選手が放った打球は一塁線を抜けた!・・・と思った。しかし、その打球は1塁塁審の足に当たって失速。当然ヒットと思ってホームに向かった2塁ランナー田尾安志選手が本塁でタッチアウトになった。
「審判はグランドでは石と同じである」という説明だった。世に言う「石ころ事件」である。
このゲームを3対1で落としたドラゴンズは、ナゴヤ球場に戻っての第6戦も、3回に4点を取られその裏すぐに4点を取り返す意地を見せたものの、結局9対4で破れ、
西武に日本一の座を献上した。「石ころ事件」さえなければ、ひょっとしたら結果は逆だったかもしれない。野球の神様は時にこんな顔も見せるものだ。(1982年)

【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。

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