関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路

空前の人手不足といわれるなか、50代以上のバブル世代に「リストラの嵐」が吹き荒れている。

 東芝はグループで7000人削減、富士通はグループで5000人を配置転換、NECは3000人削減、三菱UFJフィナンシャル・グループは9500人分、三井住友フィナンシャルグループは4000人分、みずほフィナンシャルグループは1万9000人分の「業務量」削減……etc、etc.

 それぞれ「完遂」までの期間は違うし、人員削減、業務量の削減、配置転換と用いる用語も異なる。が、そこには、「50歳以上はいらない。君たちが我が社の成長の足枷になっているんだ!」というメッセージが色濃く漂う。リストラの柱が早期退職や配置転換である以上、そのターゲットがバブル世代であることは容易に想像できる。

●「彼らは自分の立場をわかっていない」

 ところが、メディアの扱いは実に冷ややか。数年前なら大ニュースだった大企業のリストラ劇が、ストレートニュースレベルで扱われ、不安にあえぐベテラン社員たちを憂う報道も激減した。

 番組を作っているのが30代の若い社員であることが原因なのか?

 はたまた、50代の多くが、「自分は別」と高を括っているのか?

 「50代以上は仕事へのモチベーションが低い。若い社員に嫉妬して足を引っ張ったり、定時になると残りの仕事をまわりに押し付け、さっさと帰る人もいます。安心だけを求める人は、もう、いらないんです。そのことを理解できない人が多すぎます。何やかんや言っても、『このまま乗り切れる』と思ってるんでしょう」

 こう話すのは、某大企業の人事部の男性である。彼は何度も、「彼らは自分の立場をわかっていない」と繰り返した。

 ……ふむ、なんとも。グサッと刺さる言葉だ。

 これまで何度も書いてきたとおり、私は「50歳を過ぎた社員をどうやって『会社の戦力』にするかで、会社の寿命が決まる」と考えている。「使えるものを使わないことには、会社がつぶれちゃいますよ!」と本気で思っているし、その確信は以前にも増して強まっている。

 2年後には大人(20歳以上)の「10人に8人」が40代以上、50代以上に絞っても「10人に6人」で、どこの職場も見渡す限りオッさんとオバさんだらけになる。おじさん、おばさんがこんなにいるのに、人手不足ってどういうこと? と脳内の猿たちはかなり混乱しているのである。

「不安を全く感じていない」50代社員の不思議
 実際、私が知る限り、成長している企業では「50歳以上=お荷物」じゃない。

 特にこの1年間で、50歳以上を「貴重な戦力」と捉え、彼らのモチベーションを高める知恵を絞る企業は確実に増えた。「役職定年になったら終わり」ではなく、本人のやる気さえあれば、新たな部署に異動させている会社もあった。

 そういった企業では例外なく非正規が少ない。非正規と正社員の賃金格差、待遇格差も小さい。女性のパートさんが多い企業もあったが、「モチベーション向上のために、働きに応じて賃金がちゃんと上がる制度になっています」「長く働いてもらいたいので昇進制度を作りました」といった具合に、そこで働く人たちのモチベーションを沈滞させないよう工夫する。

 それだけに昨今のリストラの嵐は、実に残念。ホントに残念である。大規模なリストラを発表した企業のトップたちは、「構造改革」「人員の適正化」という言葉を多用するけど、これってベテラン社員を生かす術を試みた末のリストラなのだろうか。

 「何言ってんだよ! どんだけ50歳以上の給料が高いかわかって言ってるのか!?」とお叱りを受けそうだが、つまり、「鶏と卵」じゃないか、と。

 結局のところ、「50歳になったらお払い箱」を前提にした経営をしてきた結果なのでは? という疑念が尽きないのである。申し訳ないけど。

 が、その一方で、「自分の立場をわかっていない」というグサッとくる言葉を、完全には否定できない自分もいる。

 つまり、鶏だか卵なのかわからないけど、あるときから学ぶことをやめ、新しいことにチャレンジするのをあきらめ、思考を停止させ、「会社員」という身分に安住している人たちが、確実に存在することを、最近やたらと痛感させられているのである。

 前々回の記事(「増える月曜朝の中高年の縊死と就職氷河期の果て」下部、関連記事参照 )で、50歳以上の会社員を「漠然とした不安を抱いている人たち」と書いた。

 彼らは「自分の立場をわかっている」からこそ、「このままでいいのか? いいわけない。どうにかしなきゃ」と苦悩し、それでもまるで金縛りにでもあったように身動きができず、不安に押しつぶされる。

 しかしながら、同じ50代会社員の中には「不安を全く感じていない人たち」もいる。彼らをうまく表現するのは非常に難しいのだが……、「ぬるい」、とでも言いますか。今は毎月お金をもらえているかもしれないけど、ある日突然「一円も稼げない自分」に直面し、苦労するのではないか、と。

 仕事柄いろいろな方と接する機会があるが、「時代も変わっちゃったし、人生も長く延びちゃってるのに、ホントに今のままで大丈夫ですか?」と問いたくなるような人たちが、決して少なくないのである。

 というわけで前置きが長くなった。今回は「変わる勇気」について、あれこれ考えてみよう思う。

「自分は切る側の人間なんだ」という、変な優越感
 もう10年ほど前になるが、50人の部下をリストラし、最後に人事部から渡された「リストラリスト」に自分の名前が載っていたという、いたたまれない話をしてくれた男性がいた。しかも、その方の結末は実にシュール。退職後、自分をまるで鉄砲玉のように使った会社に一言文句でも言ってやろうと株主総会へ乗り込んだところ、「当時の人事部長が警備保障会社の制服姿で立っていた」というものだった。

 このときの男性以来、「リストラする側」だったことを告白してくれた人はいなかった。ところが先日、件の男性に匹敵、いや、もしかしたらそれ以上にひどい経験をした方から話を聞くことができた。そこで、まずは某大企業の部長さんだったその男性の話から紹介する。

「私はずっとどこかで『自分だけは大丈夫』と、過信していました。肩たたきされた同期を、蔑んでいたんです。安心や安定を求め、現状に満足してるから、ダメなんだよって。

 でも、自分を救ってくれた人に出会えてやっと気づきました。現状に満足していたのは、自分でした。

 実は……、私、55歳のときに関連会社に行かされることになったんです。一応、役員待遇です。前任者は最後はそこの社長になっていたので、自分もそうなると、勝手に信じ込んでいました」

 ところが、現実は予想もしないものだった。

「私に与えられた仕事は、リストラです。コスト削減のために、何人もの社員をリストラさせられたんです。

 それだけではありません。

 予定していた人数のリストラが終わると、また、別の関連会社に行かされて、そこでも同じようにリストラをさせられました。人事部が差し出す名簿にしたがって、一緒に働いたこともない社員を切っていくんです。そして、それが終わると、また次の会社に行かされて。結局、3つの会社でリストラをしました。

 部下の肩たたきは元の会社でもやっていましたが、さすがに自分のやっていることが嫌になってきましてね。みんな自分と年齢が変わらない人たちで、会社に定年までいることを前提に生きてきた人たちです。やっぱりね、気持ちのいいものではないですよ。

 嫌がらせの電話が自宅にかかってきたこともありましたし、駅のホームでは線路側は歩かないようにしていました。精神的にものすごく疲弊しました。

 でも、そんな気持ちとは裏腹に『自分は切る側の人間なんだ』という、変な優越感みたいなものがあった。散々手を尽くした末の人員削減なんだと。リストラは会社の問題ではなく、切られる側に問題があるという考えをずっと持っていましたから、余計そう思うようになったのでしょう。

 それに……自分は経営側の人間なんだと思うと、自尊心が満たされるんです」

「普通に考えれば、最後は私が切られますよね」
 彼はこう続けた。

「そんなある日、若い時にお世話になった会社の社長さんから、突然電話がかかってきましてね。

 『アンタ、何やってるんだ。そんなことやってないで、ウチに来い!』って言われて。最初は何を言われてるのかさっぱりわからなかった。そしたら、『アンタの会社ほど給料は出せないけど、さっさとやめて来い』と、また言われて。それでやっと目が覚めた。

 普通に考えれば、最後は私が切られますよね。そんなこともわからなくなっていたんです。自分が見えてなかったんですよ。結局、1つの組織に長年いると、過去を生きるようになっていくんです。

 私たちの世代は組織に残るのが当たり前でしたから、私は、その当たり前を手に入れた、選ばれた人材なんだと勘違いしていたんです。

 でも、今思うと、私は必死でそう思い込もうと自己暗示をかけていただけなのかもしれません」

 60歳を過ぎたこの男性は、現在も「恩人の社長さん」の会社の一社員として働いている。給料は以前の半額以下。「全く不満がないと言えば嘘になる、でも、ここには未来がある」と。

 つまり、彼は“自己暗示”から開放され、「変わる勇気を持つ」ことに成功したのである。

 しかし前職時代の彼は、間違った「つじつま合わせ」により「不安」を消した。会社に命じられたことをきっちりやれば、また道が開ける。そう妄信していたのだ。

 肩たたきされる同僚と、されない自分。関連会社の社長で会社員生活を終える前任者と、それに続く自分。人は「これだ!」といったん確信を持つと、その確信を支持する情報だけを探し、受け入れ、確信に反する情報を無意識に排除する生き物だが、男性はまさにそれだった。

 不安を感じていない人、いや、不安を消す自己暗示に長けた人たちは、独特の万能感を醸し出す。

 いったい、この人たちの万能感はどこからくるのだろう? と不思議なくらい、自己肯定感が強く、彼らは決まって「自己責任」という言葉を多用する。彼らは自分が「影響力を持つ」ことに固執し、変化する現実に目を向けないから、なかなか適応できない。組織内の競争に勝ち、収入や役職、裁量の権限や人事権などの「自分と彼ら」を区別する“外的な力”を手に入れたことで、いつしか外的な力だけを偏重するようになり、適応力の礎となる“内的な力”を高めることがおろそかになってしまうのだ。

 内的な力とは、誠実さや勇気、謙虚さや忍耐といった人格の土台だ。

 謙虚さがあれば、自分を知ることができる。だからこそ、不安になり、「変わらなきゃ」「どうにかしなきゃ」と抗い、苦悩する。

 とどのつまり、人から「不安」という感情が消えたとき、「変わる」必然性を認知できず劣化する。やがて「価値なき人材」と評され、挙げ句の果て「自分の立場をわかっていない」と揶揄されてしまうのだ。


では、変わるにはどうすればいいのか
 個人的な話で申し訳ないが、組織の外でフリーとして生きていると、「安心」というものは一生手に入れることができない尊いものであると痛感する。

 常に不安と背中合わせの状況では、「今」を生きるしかない。どんなに仕事が増えても、どんなに稼ぐことができても、明日突然「仕事がなくなる」リスクは、いくつになっても、どれだけキャリアを重ねてもつきまとう。

 組織外の人間に、指定席はない。それが用意されているのは、一部の天才だけ。普通の能力しかない自分は、今日、絶好調でたくさん稼げても、翌日、突然稼ぎがなくなるという痛い目に、何度も遭った。

 そんな失敗を繰り返しているうちに、お金という有形の資産(外的な力)を得るには、その金を得るだけの無形の資産(内的な力)への投資が必要になることを必然的に学ぶ。つまり、今の仕事を続けるには、常に「今の自分」をアップデートすることが必要不可欠であり、ちょっと立ち止まる、ぶつかる、変わることを恐れないことが、不安への最良の対処だと学んでいくのだ。

 時代が変わり、会社という組織のあり方も変わった今、「現在の地位」の賞味期限はすぐに切れる。なのに、人生は長くなる一方だ。

 良く言えば安定、悪く言えば変化に乏しい会社という組織にいるだけでは、自分はなかなか見えづらい。地域を含めた社会の中で、様々な人と接する中で自分を知ることが、変わることへの第一歩だと思う。

 不安の反対は安心ではない。動くこと。

 その動く勇気を「会社員」の方たちにも持ってほしいと心から願います。なんだか上から目線のようで申し訳ないけど、こうやって書くことで、自分を戒めているのです……。

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