警備資料

アクセスカウンタ

zoom RSS ドローンは無慈悲な空の魔王? 〈無人化〉時代の倫理に向けて

<<   作成日時 : 2018/10/10 22:32   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

2010年以降、急速に普及し始めた小型無人飛行機─ドローン。
2010年以降、急速に普及し始めた小型無人飛行機─ドローン。従来の物理的な制約に縛られない能力は、“空の産業革命“とも呼ばれるが、一方でドローンは我われの目に触れないところで、テロリストを監視し、遠く離れた紛争地帯で敵を抹殺する最強の兵器としても使われている。 こういうドローンという多義的な存在をフランスの気鋭哲学者グレゴワール・シャマユーが倫理、哲学の視点から論じたのが「ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争」(明石書店)。訳者の渡名喜 庸哲氏の解説から、ドローンを巡る倫理問題をさぐる。

[動画]米軍ドローンのコクピット

  □  □  □  □

「ドローンの時代がやってくる」。そんな声をいたるところで耳にするようになった。けれどもそれはどんな時代だろうか。

内閣府の運営する「政府広報オンライン」は、「ソサイエティ5.0」というタイトルで、今後到来すると予想される社会を描いたショートフィルムを流している。「20XX年」の「ちょっと先の日常」は、ドローンが荷物を運び、顔認証センサーで受取人を認識し配達してくれる朝に始まる。自宅では、話しかけるだけでレシピを提案してくれたり要望に応えてくれる「AI家電」があり、「遠隔診療」で遠くからでも医師の問診を受けることができる。外に出ればGPS衛星によって制御された「無人トラクター」による「スマート農業」が展開され、無人走行バスが目的地まで送り届けてくれる......そんな「未来」だ。

なかでもドローンは、私たちの生活を一変させる新たなビジネスチャンスとして、いまや世界的な研究・開発の注目の的となっている。すでに日本では1980年代からとりわけ農薬散布の分野で産業用無人ヘリコプターが用いられてきたが、2010年代からは飛躍的な発展を見せている。無人で飛行する物体は昔からあるが、かつてのラジコンと異なり、ドローンはたんに無人であるだけでなく「自律」するようになってきた。GPS、携帯電話等々の関連する技術改良のおかげで、軽量化・実用化がいっそう進んでいる。

すでに農業分野でのデータ収集、空撮による河川や天然ガスパイプラインなどのインフラ管理・点検、災害時の調査・測量・警備などで実用化がなされ、今後は配送を含めたさまざまな分野での応用が期待されている。国際的にも、大学などの研究機関や企業と協同しながら、各国は鎬を削ってそこに投資している。こうした趨勢からすると、内閣府の提示する未来予想図もあながち絵空事ではないかもしれない。
他方で、ドローンによる「未来」は、薄暗い側面も見せているだろう。アニメ『PSYCHO‐PASS』が描きだすように、空中を浮遊するドローンのカメラは、どこにでも移動できる監視カメラとして人々の行動を追跡するかもしれない。そればかりではない。収集された膨大なデータは、あれこれのアルゴリズムを介して「犯人」を突き止めることもできるようになるだろう。

もしこの高解像度の移動型監視カメラが武器をもてば......技術的には、「データ」に基づく刑執行も可能になるだろうし、相互接続された端末からその信号を送ることもできるようになるかもしれない。すでに、アフガニスタンでは無人飛行機による標的殺害が実施されているが、そうした「未来」の一部は確かにすでに世界の一部で「現実」となっていると言うことすらできるかもしれない。

もちろん、空想的に描かれるディストピアの像を根拠にして、いまここにある技術を断罪しても説得力はないだろう。けれども、不安に目をつむり、技術の進歩とそれを操作する人間の健全なる理性をあくまで信じることも、さほど合理的には思えない。一つの技術が民生技術として産業利用されることと軍事技術として利用されることの差異がますます不明瞭になり、しかも技術を操作するのがはたして人間なのかも分かりにくくなってゆく時代において、このような期待しうると同時に悩ましい技術をどのように考えたらよいだろうか。

「戦争」の変容
本書「ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争」は、遠隔技術がもともと博愛的ないし人道的とも言える動機を伴っていたことの確認から論が始まっている。地底の炭鉱、大火事や災害の現場、放射能で汚染された地域や破壊された原子力発電所の建屋、さらには深海、宇宙空間など、人間が生身の体では入ってゆくことのできない「過酷な環境」に介入するためにこそ、遠隔テクノロジーは活用されてきた。しかし、「戦争」という「過酷な環境」にこの遠隔テクノロジーが導入されるとき、いったい何が生じるのか。
歴史を振り返ると、軍用ドローンの原型は第二次世界大戦中のアメリカで生まれた。その後、ベトナム戦争および中東戦争における束の間の利用を経て、ほとんど忘れさられていたが、2000年代初頭、「コソボとアフガニスタン」のあいだに、「新たなジャンルの戦争」において脚光を浴びるようになる。冷戦終結とともに「核」の時代が終わり、湾岸戦争、イラク戦争、コソボ紛争を経て、戦争が「ヴァーチャル化」してゆく過程についてはこれまでも多くの考察がなされてきた。しかし、2000年代のRMA(軍事における革命)、すなわち情報通信技術を統合した「ネットワーク中心の戦争」において、ドローンの登場がさらなる変動を引き起こしている。

こうして生まれた軍用ドローンに「プレデター」、つまり「捕食者」という名前が付けられたことはなんとも意味深長だ。軍用ドローンによって、「戦争」は「狩り」に―つまり「人間狩り=マンハント」に―変貌するからだ。この変貌の不気味さは次のような対比からも理解されるだろう。2000年代初頭にアメリカで、実際の飼育農場に放たれた動物をヴァーチャルな遠隔操作で撃つというインターネット上のオンラインゲーム「ライヴ・ショット」が生まれたが、これに対し動物愛護団体からなんと全米ライフル協会にいたるまで猛反対の声があがった。しかし、まさに同じころ、「捕食者」ドローンによる「国際的なマンハント」計画が、さしたる抵抗もなく動き出していったのである。

しかしドローンは、これまでの武器と―とりわけ混同されやすいロケットなどの「飛び道具」とすらも―根本的に異なる特徴を備えている。ドローンは、「牙」であると同時に「眼」でもあるからだ。フーコーが注目した「パノプティコン」は、ギリシア語ではまさしく「すべてを見る」という意味であったが、「眼」はもはや刑務所の中央にではなく、空のあちこちに浮遊することになる。

ここには「監視社会」をめぐる言説と交差する分析が見られるが、著者のグレゴワール・シャマユーの目論見は、こうしたドローンによるハイパー監視社会の到来を予言することにはない。むしろ、ドローンの推進派たちの言説を仔細に読み込み、現在の軍用ドローンをめぐるイノベーションにおいて、どのような「原理」がすでに実際に提示されているかを明らかにすることが試みられている。三交代制のオペレーターによる恒常監視、ハエの眼のように複眼的な視野をもった総覧的監視、ただ見るだけではなく記録化・アーカイブ化すること、それをいつでも有効に引き出し関連づけるためのインデックス化、携帯電話やGPS等のほかの通信機器からのデータの融合、これらを組みあわせた「生活パターン」の分析等々だ。

ドローンは世界を「狩猟場」化する
これらにより、不審な「個人」の行動が自動的・統合的に探知されるようになるばかりでない。莫大なデータに照らして「異常」と判断されるものは、現在どこにいるかだけでなく、かつてどこにいたのかも追跡できるようになり、さらにこれからどこに行くのか「予防的予期」すら可能になる。無論、シャマユーが繰り返し思い起こすように、監視され追跡され壊滅させられるのは実際の人間であるにしても、扱われているのはつねに「データ」である。ただ、そうすると、ビッグデータによる「定量分析」が、「テロリスト」と「ひげの生えた普通の男」、「アルカイダに関連した戦闘員の行動様式」とアフガニスタンの伝統的な祭りに集った人々、「テロリストの訓練キャンプ」とエアロビクスをしている男たちを区別できるかどうかはきわめて致命的な問題となるだろう。

ドローンは、記録と予期により時間的な限界を突破するだけではなく、空間的・地理的な変容ももたらす。対テロ戦争による戦争の「グローバル化」は、ドローンの登場によって、世界全体の「狩猟場」化と捉えられる。ただしドローンによる「マンハント」は、従来のような、地上における水平的な追跡・狩猟ではない。領土的な主権原理をなし崩しにするかたちで、空からの垂直的な追跡・狩猟を可能にするからだ。これに呼応したテクノロジーもすでに考案されている。

世界は、スクリーン上に3Dで碁盤目上に仕切られた「キル・ボックス」に切り分けられる。軍事作戦は、あれこれの「地域」に向けられるのではなく、こうして細分化された「キル・ボックス」を単位としてなされることになる。これによって「戦闘地域」という考えも時代遅れのものとなり、「戦場」が、地域から家屋へ、家屋から部屋へ、部屋から個人の「身体」へと限定される。かつてのように、不動の「場所」ではなく、―まさしく逃げ回る獲物のように―動き回る「身体」こそが「戦闘地域」となるのだ。

シャマユーによれば、このような技術的──概念的な変容こそが、「対テロ戦争」の新たな展開を可能にしている。チェ・ゲバラが喝破したように、かつてのゲリラ戦における「対反乱作戦」において、空爆は有効な手段ではなかった。どこに潜んでいるか分からない反乱者を狙って地域全体に爆撃を加えると、その地域の住民にも被害が及びさらなる反乱者を生み出すことになりかねないからだ。ドローンによる空からの標的殺害は、こうした困難を除去するが、問題は反乱者やテロリストの効果的な排除という戦術的な利点にとどまらない。

シャマユーは、対テロ戦争におけるドローンの活用に対して軍内部から繰り返し発せられる異論を細かく検討することで、それがどのようなパラダイム転換をもたらしているかを指摘する。従来の対反乱作戦が政治的──軍事的なものであるのに対し、ドローンによる対テロ作戦は「根本的に警察的──保安的」である。「テロリストとは交渉しない」というのは、けっして強い政治的ポリシーを述べているのではない。対テロ作戦においてもはや交渉が不要なのは、目標が端的に「異常な人物」とされた者の排除・無力化にあるからだ。とすると、ここでは、当該地域の住民への政治的配慮は後景へと退き、「テロリスト」の特定・除去を定期的に実施するというプロセスのみが残ることになる。いかにその地域の住民に心理的な圧迫を与えようとも、定期的なパトロール(場合によっては除去)のみが要請されるわけだ。

テクノロジーの進歩で人間はどうなる?
ここまでくると軍用ドローンは完全無欠の、まさしく「不死身」というべき兵器にも見える。空の高みからつねにわれわれを監視し、ビッグデータによって「異常」と診断されてしまえば、「キル・ボックス」によって細分化された「戦闘地域」への攻撃指令が送られ、説明も逮捕もなく、即座に「除去」されることになるのだから......。しかし、ドローンは、いくつかの「脆弱性」「弱点」をもっている。それは、ドローンが見ているものとオペレーターに送信された信号にズレがあったり、あるいは傍受される可能性があるといった技術的な問題や、ドローンが飛行しうる空間をあらかじめ制御しておく必要があるといった戦術上の問題にかぎられない。

軍用ドローン推進の道徳的モットーである自国の兵士の犠牲者ゼロという目標は、自国のほうは安全な聖域として守られることを前提としているが、しかしドローンという安上がりの武器は、誰でも作れてしまう。敵の側も容易に「自爆攻撃兵器」を飛ばしたり、―おぞましいことだが―犠牲となる人物に自爆兵器を備えさせて遠隔操作することで軍用ドローンと同じ機能を担わせることができるからだ。

■テクノロジーの進歩で人間はどうなる?

最後に、訳者として、本書がもちうる意義について少し触れておこう。

第一に、本書には軍用ドローンに限られず、遠隔テクノロジー全般に関わるような哲学的・倫理学的な考察が含まれていると思われる。とりわけ本書は、「人間の代わり」というかたちで遠隔テクノロジーが導入されてゆくとき、代替してもらったほうの当の「人間」はどうなるかという問いを提起してくれるだろう。

掃除機をはじめ自律型のロボットが人間の代わりをしてくれることで、人間はますますの自由を手にするようになるのかもしれない。しかし、「人間の代わり」が増えてゆくと、当の「人間」そのものも代替可能になるのではないか。本書は、遠隔テクノロジーの活用によって、これまで当然のものとして受けとられてきたさまざまな概念がどのように変質するかをたどるものと言えるが、実は、その焦点は、軍用ドローンという「技術」よりもむしろ、「人間」をめぐるものであると言うこともできるかもしれない。

たとえば、本書が特化しているのは、「殺す」という行為が遠隔テクノロジーによって代替されたケースである。けれども、よく考えてみると、「殺す」というのは、人間と人間のあいだでしか成立しないのではないか。人を殺せるほどの勢いでソファーにナイフを突き刺すことができるが、物理的な動作としては同じであっても、われわれはソファーを「殺す」とは言わない。逆に、ソファーが倒れて人が下敷きとなって落命したとき、誰かがソファーを倒したのであれば「殺す」と言えるかもしれないが、ソファーが自然に倒れたのであればそうは言わない。誰かが「私」に倒させた場合はどうだろう。「私」がそうプログラムしておいた場合はどうだろう。

ドローンは、人間とソファーのようなただの物体の中間にあって、あたかも自律したロボットであるかのように「殺す」わけだが、それについての考察は、「殺す」という行為が本来いかなるものであったのか、かつて人間と人間のあいだでしか成立しえなかった事態が別のものへと変質しているのではないかと考えさせてくれるだろう。とりわけ、「見る」「聞く」「掃除する」「運転する」といった、一人でもできる行為はもとより、「会話する」「ケアする」「愛撫する」といったそもそも人間と人間のあいだでしか成立しないはずの行為が遠隔テクノロジーによって技術的に代替される可能性について考える際に、多くの示唆を与えてくれるのではないか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ドローンは無慈悲な空の魔王? 〈無人化〉時代の倫理に向けて 警備資料/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる