警備資料

アクセスカウンタ

zoom RSS 「私が長官を撃ちました」 國松長官狙撃事件の真犯人は誰か

<<   作成日時 : 2018/09/11 21:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

1995年3月30日、当時の國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された。犯行の確固とした証拠は得られず、2010年3月30日に殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎える。犯人はオウム真理教なのか、警察の内部犯行なのか、それとも――。一橋文哉著『オウム真理教事件とは何だったのか?』(PHP新書)より一部抜粋し、その真相に迫る。

オウムか、それとも内部犯行説か
長官狙撃事件をオウム真理教の犯行と決めつけ、Kや早川、井上、そして平田……とわずか半年足らずの間にターゲットを次々と替えた公安当局が、最後に辿り着いた相手こそが警視庁の現職警察官でオウム信者の元巡査長であった。

それは狙撃事件から一年二か月経った一九九六年五月、警視庁本富士署に属し、何と地下鉄サリン事件特捜本部のある築地署に応援派遣されていた元巡査長が「私が長官を撃ちました」と自供したことから始まった。

調べに当たった警視庁公安部は当初、この事実を懸命に隠蔽したが、内部告発文書が出回ったり、オウム信者の洗脳解除を手掛けていた脳機能学者による元巡査長へのカウンセリングビデオがテレビ番組で流れるなどしたため発覚、大きな問題となったのだ。

その内部告発文書は九六年十月十四日付の消印で警視庁記者クラブに加盟する報道各社に郵送されてきた差出人不明の封書で、白い紙にワープロ打ちされた文書が入っていた。

《國松警察庁長官狙撃の犯人は警視庁警察官(オーム信者)。すでに某施設に長期監禁して取り調べた結果、犯行を自供している。しかし、警視庁と警察庁最高幹部の命令により捜査は凍結され、隠蔽されている。警察官は犯罪を捜査し、真実を究明すべきもの。》

という内容で、迂闊にも警察庁警備局や警視庁公安部は、これに全く気づかなかった。

また元巡査長はカウンセリングの中で、(1)長官を狙撃した、(2)現場を井上嘉浩ら教団幹部たちと下見した、(3)凶器のコルトパイソンを神田川に捨てた─ことを明かしていた。

ただ、元巡査長の供述には矛盾点が多く、早川や井上、平田らの名前が次々と登場する供述内容は揺れ動いて二転三転したため、裏付け捜査は難航した。

さらに大勢の捜査員が神田川で大規模な捜索活動を行い、その様子がテレビで流れ世間の注目を集めたが、結局拳銃は見つからなかった。

東京地検は元巡査長の供述には信憑性がないと判断し、立件を見送った。また執念深い警視庁公安部は二〇〇四年に、長官狙撃事件に関連して、元巡査長ら三人を殺人未遂容疑で逮捕したが、東京地検は「証言に信憑性がない」と不起訴とし、身柄を釈放している。

この元巡査長は後に懲戒免職処分となり、警察を去っている。

この騒動の真の問題点は元巡査長の供述が信用できるかとか、事件の真相はどうなのかということに加えて、次の四点にあると言っていいだろう。

第一は、身内の自供に衝撃を受けた警視庁公安部が関係者全員に箝口令を敷き、検察庁はもとより、警察組織のトップで事件の被害者でもある國松長官に対してさえ、その事実を隠していたことである。

極秘捜査の結果、元巡査長が狙撃犯である可能性は薄くなったが、本人がそう供述している以上、下手に釈放してマスコミにでも接触されたら大変なスキャンダルに発展すると考えた公安部は、彼の身柄を極秘に都内のホテルに隔離し、取り調べを続けたのだ。

しかも、そんな事態が警察関係者と見られる人物によって内部告発され、問題をさらに深刻化させた。元巡査長のことを隠せば隠すほど彼の供述の信憑性を高める結果となり、世間には「不祥事隠し」と映ったのだから、公安部の判断ミスと言われても仕方ないだろう。

「いくら身内の人間とはいえ、任意で調べている人間の身柄を長期間隔離したことは人権上問題がある。ある意味では犯人隠避や証拠隠滅と捉えられかねず、特別公務員職権濫用罪の疑いさえある」(東京地検関係者)との怒りも当然であろう。

そうした世間の怒り以上に、警察内部の反発や憤激は凄まじかった。

激怒した國松は問題が発覚した三日後には櫻井勝警視庁公安部長を更迭し、最終的には「盟友」と言われた井上幸彦警視総監も解任した。

この國松の厳しい処置は信頼を裏切ったことへの怒りの大きさを示すとともに、「警視庁を庇い切れず、警察組織全体を守るために断行した」(警察上層部)ということを意味している。

だが、この処断が皮肉にも、第二の問題点を発生させた。

警察内部の権力闘争
この時、警視庁は一連のオウム事件捜査の真っ只中にあり、井上幸彦はその最高司令官で、櫻井は長官狙撃事件を指揮する現場の最高責任者であった。捜査の最中にリーダーの顔ぶれが一新されたのだから、現場が混乱し、捜査に支障を来したことは当然であろう。

しかも、國松は櫻井の後任に、子飼いで信頼の厚い暴力団対策部長の林則清を据えた。林は暴力団捜査の第一人者で「刑事警察のエース」と言われた人物だったが、公安捜査に関しては門外漢であった。

そもそも長官狙撃事件の捜査は刑事部が行うべきものであり、続発するオウム事件で手が足りず、公安部が担当したという経緯があるだけに、それ以降の捜査が円滑に行われるわけはなかった。

さらに、これらの対立の背景には人事を巡る警察上層部の派閥抗争、即ち内部の権力闘争がチラついており、それこそが第三の問題点と言っていいだろう。

櫻井は國松の前任者である城内康光の側近で将来の長官候補と言われた人物だったし、林は反井上の急先鋒だった。

実際、林は子飼いの刑事たちを使って狙撃事件を再捜査し、それまで中心となって捜査に当たってきた公安幹部を追放したり、まるで当てつけのように大々的に川浚いを行って、公安警察に地団駄を踏ませている。

元巡査長がオウム信者ではないかとの疑惑は早い段階から出ていたのに、庇い立てか隠蔽したのか人事、監察との連絡が悪く、こともあろうに地下鉄サリン事件特捜本部に派遣するなど警察組織の危機管理体制が欠如していたと言われても仕方ない状態であった。

少なくとも狙撃事件が起きる数日前、押収した信者リストで元巡査長の存在が確認された段階で対処していればこうした疑惑は防げたのだが、人事一課監察チームが警視庁の寮にある元巡査長の部屋を捜索したのは狙撃事件当日の三十日であり、そこでオウム関連の書籍などを発見して信者と断定したのは明らかに手遅れであった。

こうして見ると、元巡査長騒動の端緒となった内部告発も警察内部で反対勢力の策謀ではないかと犯人探しに躍起になっていたというし、長官を狙撃した拳銃弾が警察官が所持している拳銃「ニューナンブM60」の弾丸と似ている点も不気味である。

だが、ここで最も問題だったのはそうした思惑に加え、秘密保持の必要性から元巡査長の供述に対し、十分な裏付け捜査が行われなかったことである。

(本稿は、一橋文哉著『オウム真理教事件とは何だったのか?』〈PHP新書〉を一部抜粋、編集したものです)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「私が長官を撃ちました」 國松長官狙撃事件の真犯人は誰か 警備資料/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる