信州・取材前線:東日本大震災 南相馬から避難3カ月/上(その1) /長野

◇被災者にあきらめも
 東日本大震災に伴う福島第1原発事故の影響で、福島県南相馬市の住民が集団で長野県内の飯田市や周辺町村に避難して3カ月を超えた。当初、103人いた避難者は古里に戻るなどして徐々に減ったが、今も7市町村に計88人が暮らしている。自治体は生活の場や食事を提供し、地元企業には雇用という形で避難者を支える動きもある。避難者は南信州の人々の温かい心配りへの感謝を語る一方で、自宅に帰れないことへの悔しさや、あきらめの声を漏らしている。避難者の現状を取材した。【石川宏】

 ●高野庸二さん「東電全く信じない」

 「(南相馬市の)警戒区域内はゴーストタウン。動くものと言えば飼育小屋から解放された豚や牛だけ。放射能を知らなくて、動物たちはある意味『幸せなのかもしれないなあ』と思った」

 豊丘村に避難中の南相馬市小高区飯崎、元病院警備員、高野庸二さん(62)は6月7日、警戒区域内の自宅に約3カ月ぶりに足を踏み入れた。防護服を着ての1時間足らずの一時帰宅。持病の薬の処方箋と、パソコンを自宅から持ち出した。移動のバスの中から見る「無人の町」は奇妙な静けさに包まれていた。

 地震による自宅の被害は食器が割れた程度なのに福島第1原発の半径20キロ圏内のため、暮らせない。

 「原発事故収束に向けての東京電力の工程表は全く信じないし、小高区に帰れることは今のところ、全く期待していない。国会の内閣不信任決議案騒動の時は『政治家は被災者のことを何も考えていない』とすごく腹が立った」

 政治家について語る時、いつもの温厚な顔に憤怒の色が走る。

 村の避難所は風呂は火・木・土の週3日。掃除や炊事は避難者で分担し、単身の高野さんは相部屋。震災前に比べ、不便や不都合はあっても「朝晩の食材と昼の料理は届けてくれる。村には良くしていただいて本当に申し訳ない。お世話になってばかり」と感謝の言葉を繰り返した。

 ●松本武男さん「ここに来て良かった」

 「キュウリやナスの育ちはまあまあだな」

 キャベツやトマト、ジャガイモを植えた畑(約2アール)を見回し、南相馬市小高区村上、農業、松本武男さん(79)はつぶやいた。豊丘村の避難者は村の農業団体から好意で貸してもらった畑で野菜を育てている。松本さんは農作業の中心的存在だ。

 南相馬に1ヘクタールの田んぼを人に貸し、10アールの畑を耕していた。「ジャガイモをそろそろ植えようか」と思い立った時に、津波が襲った。田畑は海水につかり、自身は自衛隊ヘリで救出された。更に福島第1原発の半径20キロ圏内に入り、長期避難を強いられた。生まれて初めて訪れた豊丘村で「4月末にジャガイモを植えることになるとは思いもしなかった」と驚く。

 「やっぱ不安だったよ。でも今ではここに来て良かったと思ってる。うどんだの、何だのと向こうから持ってきてくれて、みんな親切にしてくれて。生まれた場所でねえけれど、生まれた場所と同じくらい良くしてくれる」と表情を和ませる。

 自宅に帰るめどは全く立たない。「たぶん家には戻れない。原発があっから。生きてるうちに自分の田んぼや畑で作れるようにはならないだろ。我々の年齢では無理だ。どうにもなんね」。寂しそうに話した。

   ◇  ◇

 避難者の声を上下2回に分けて紹介する。下は後日、掲載。

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