震災1カ月:千葉では/中 一極集中、危うさ実感 /千葉

 ◇記者が「帰宅困難」に直面 親類の法事で福島へ向かう途中の東京で…
 ◇「24時間」でも疲れ果て
 3月11日の東日本大震災から1カ月が経過した。今も大きな余震が続き、被害の全容も定かではない。震災発生時、私は東京にいて、そのまま「帰宅困難者」となった。首都の交通がまひし、何万人、何十万人もの人間が“難民”と化す事態に直面して、原発の電気に支えられた東京一極集中の危うさを初めて肌で感じた。震災から帰宅するまでの一部始終を振り返る。【斎藤有香】

 ◇総武線車内で大地震に遭遇--3月11日14時46分
 その時、私は総武線快速の車内にいた。親類の法事で福島県に向かうため、午後2時すぎJR千葉駅から乗った。

 東京駅の一つ手前の新日本橋駅地下ホームへ滑り込む途中、車両が急ブレーキをかけたかのように大きく揺れた。無事に停車したが安全確認のため十数分間ドアは開かなかった。最初は「人身事故だろうか」と思ったが、待つ間に乗客たちから「地震じゃないか」とささやく声が上がった。私は携帯電話にメールで配信されたニュースで大きな地震の発生を知った。

 ドアが開き、しばらく待ったが運転再開のめどが立たないとわかった。私はそれでも新幹線に乗ろうと徒歩で東京駅を目指した。

 地上に出てみて、地震の大きさを知った。日本橋のオフィスビルから飛び出してきた勤め人たちが歩道からあふれ、不安そうに建物を見上げている=写真<1>。ヘルメット姿も多い。

 東京駅まで歩く途中、何度も余震があった。近くの電柱が左右に揺れ、不安と恐怖が込み上げてくる。東京駅に着いたが、新幹線も不通。再開を待って駅構内で過ごすことにした。

 ◇コンビナート火災発生知る--16時ごろ
 遅い昼食をとろうと東京駅構内の飲食店に入る。地震でガスが使えないため、シラスと梅干しの乗った丼ぶりしかないという。注文して待つと、隣に座った初老の男性が「すごい地震だったね。日本橋を渡っていて、グワングワン揺れて思わずしゃがみ込んだよ」と話しかけてきた。互いに無事でよかったなどとしばらく話し、「道中ご無事で」と言って分かれた。

 食事をした後、トランクをガラガラ引きながら駅構内をぐるぐる歩き回るしかなかった。そのうち、札幌の実家の母から「千葉のコンビナートが燃えている。無事か」とメール。返信は不通で送れなかった。慌てて駅構内のテレビ画面を見ると、市原市のコンビナートが火を噴いている。「こんなことをしている場合ではない」と焦り、千葉支局へ戻ると決めた。駅ロータリーのタクシーを待つ行列はすでに駅舎内まで伸びていた。最後尾に並んだ。待つこと2時間。いっこうに列は進まない。外は暗くなり、冷気が忍び寄ってくる。寒さに耐えきれず、他の交通手段を探そうと列を離れた。私より前方に並んでいた男性に聞くと、「4時間待っても乗れないよ」と諦め顔だった。

 ◇覚悟を決めて宿泊場所探し--20時ごろ
 東京駅構内は帰宅できない通勤者であふれている。駅の柱やシャッターの閉まった店舗前に陣取る人々が現れ始めた。改札付近にあるテレビ画面は津波の映像を何度も映し、そのたびに集まった人から驚きの声が上がった=写真<2>。

 今夜は駅で過ごすしかないと覚悟を決め、コンビニ店を探した。駅近くの店に食べ物はほとんどなかった。ペットボトル入りのお茶と、かろうじて残っていたドライフルーツの小さなパックとラムネ菓子のようなサプリメントを調達。寝場所を探した。駅構内や近くのビジネスホテルのロビーが開放されていたが、人が出入りするたびに風が吹き込んで寒そうだ。

 携帯ラジオはなく、携帯電話の充電が切れそうでニュースをこまめにチェックすることもできない。地震の続報が得られず、「情報飢餓」を覚えながら、さまよい歩いた。その時、都内に住む高校時代の友人が「駅近くに帰れなくなった人の避難所がある」とメールをくれ、有楽町の東京国際フォーラムへ向かった。

 ◇タイルの上に着替えを敷き--22時半ごろ
 国際フォーラムの入り口で、警備員が「帰宅困難者の方はこちらに進んでください」と案内をしている。改めて「自分も帰宅困難者なのだ」という実感がわいてきた。

 大きなホールが二つ解放され、すでに1000人以上が集結。スーツ姿に革靴のサラリーマンや、私のようなトランクを抱えた旅行者が、冷たい石のタイルの上に雑魚寝している。奥の方にはそろいの緑色のジャージーを着た修学旅行生らしき子供たちもいた。

 どこから調達したのか、段ボールを敷いて寝ている人も。心の底からうらやましいと感じた。私は喪服姿のまま、トランクに入っていたわずかな着替えの衣類を敷いて座り込んだ。空気の入れ替えのため入り口が少し開けられ、寒い。だが、ホール内にラジオの音声が流され、震災の情報が入ってくるのがありがたかった。

 ◇災害伝言板に「無事です」--23時半ごろ
 ホールにテレビが設置され、NHKニュースが放映され始めた=写真<3>。携帯電話充電用の延長コードも用意され、順番を待った。余震のたびに天井がきしみ、みな不安そうに柱を見上げた。

 半日歩き回り、疲れ切っている。横になり、数分間うつらうつらする。だが、すぐに足が近くの人に当たって起きる、その繰り返し。会社帰りに数人で避難してきた人たちも初めは談笑していたが、やがて口数も減る。

 携帯電話の災害伝言板サービスで「無事です」と書き込むと、母と妹と祖母から「無事でよかった」とメールが届いた。充電された携帯電話をこれほど頼もしく思ったことはなかった。普段忘れている家族の絆を実感できた。

 ◇JR運転再開、昼過ぎ帰路に--12日7時ごろ
 熟睡できないまま一夜を明かし、JRの再開のめどが立ったというニュースで駅へ向かおうとした。携帯電話の充電時に一緒になった中年女性が「まだ駅に行かない方がいいわよ」と忠告してくれた。「さっき様子を見に行ったらホーム上に人があふれて危なかったわ。電車もいくら待っても乗れない」

 身支度を整え、ひたすら待つ。昼過ぎ無事JR総武線に乗り、帰路に就いた。自宅の最寄り駅の公衆電話で福島県の親類に連絡し、無事が確認でき、ほっとした。長い長い時間に感じられ、疲れ果てた。だが、それでも24時間だ。東北3県の被災地の苦労など、首都圏では想像もつかないと思った。

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