派遣切りから苦難の再就職 いちょう団地元住民

米国のリーマン・ショックの影響で二〇〇八年十月、製造業を中心に大量の派遣労働者が雇い止めや中途解約された問題が表面化して二年。職と住まいを失った非正規労働者のために、神奈川県が全国でいち早く提供した「いちょう団地」(横浜市)の元住民の五十代の男性が今月、ようやく再就職にこぎ着けた。しかし、失業率が5%台に高止まりする中、ピーク時に九十二人いた住民の大半は、今も生活保護を受けながら、厳しい就職活動を強いられている。 (菊谷隆文)
 「ようやくひと息つけました。もう突然の解雇におびえることもない」。今月四日、警備会社に再就職した元派遣労働者の男性(52)は、横浜市の自宅アパートで声を弾ませた。雇い止めされた昨年一月から一年九カ月。百社以上に応募し続けて、ようやく得た定職に喜びはひとしおだ。
 自転車で約三十分のショッピングセンターで施設管理と警備を担当する。一年ごとに更新する契約社員だが、警備会社の担当者は「勤務態度に問題がない限り、自動更新する。正社員への登用制度もある」と話す。
 男性は失業して二カ月後の昨年三月、いちょう団地に入居。失業保険が下りる半年間では再就職できず、同七月から生活保護を受けるようになった。その後、アパートを借り、月に十社以上応募しても、ほとんど面接すら受けられなかった。
 「求人票に『年齢不問』とあっても、会社に履歴書を送ると『若い人の希望者が多く、期待に沿えない』と言われる繰り返し」。苦しかった就職活動を振り返ると、男性の表情はゆがむ。
 今年三月、市内の職業訓練施設の「ビル設備コース」の試験を受けた。定員三十二人に二百三十人が殺到する難関。それを乗り越えて合格し、半年間の訓練で取得した第二種電気工事士の国家資格を武器に、警備会社への就職が決まった。
 週払いの給料が今月十五日、初めて渡された。二万三千円。試用期間のため、決して多くはないが男性は笑顔だ。「これが再出発の第一歩だから」。今後、給料が増えれば、約十三万円の生活保護の打ち切りも考えている。
 いちょう団地の元住民の多くは、今も職を求めている。昨年一月に製造業で派遣切りされた男性(47)もその一人。働き口が見つからず「こんなに無職が続くのは初めて」と肩を落とす。団地を出た後、生活保護を受けながらアパートを借り、毎週二社に履歴書を送っている。
 普通トラックとフォークリフトの免許があるが、運送会社に応募すると「君より若い人も応募している」「経験はあるのか」と面接担当者から厳しい言葉を投げかけられる。
 だが、派遣労働者に戻るつもりはないという。「苦しくても、心に決めている」。そうきっぱりと言った。

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