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zoom RSS 地下鉄サリン事件の18日後 1995年4月7日 厳戒の巨人開幕戦が東京ドーム安全対策強化のきっかけに

<<   作成日時 : 2018/07/11 11:01   >>

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オウム真理教の元代表・松本智津夫(麻原彰晃)ら元教団幹部7人の死刑が、6日に執行された。彼らが東京で起こした地下鉄サリン事件は、巨人にも影響を残している。東京ドームの主催ゲームの安全対策が強化されるきっかけになったのだ。
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 事件は1995年3月20日、営団地下鉄日比谷線、丸ノ内線などで発生。その18日後の4月7日、巨人が本拠地で開幕戦を行うため、厳戒態勢が敷かれることになった。もしオウムが無差別殺人を狙って試合中にサリンをまいたらどうなるか。開幕数日前の練習中、警察によって入念な調査が行われた。

 当時、担当刑事を案内した球団関係者が言う。

「あのときは、2階観客席でサリンがまかれた場合、ドーム内に流れている空調の風に乗って、毒ガスが一塁側ベンチ横の通路へ吹き込んでくる、と刑事さんに説明を受けました。そうなったら、ドームの構造上、チームの人間にはほとんど逃げ場がない。本当にゾッとしたものです」

 サリンに直撃される恐れのあるエリアには、当時ネット裏にあった記者席も含まれていた。そのせいか、取材する側も神経をとがらせており「この事前調査を報道しないでほしい」と要請する刑事に対し「そうはいかない」と反論する一幕もあったという。

 開幕の当日は大勢の警察官が東京ドームにやってきた。警戒態勢の万全を期すため、観客やマスコミはもちろん「どんな手で危険物を紛れ込ませるかわからないから」とチーム関係者の持ち物まで、くまなくチェック。入場する際、警備員に止められなかったのは、当時の巨人・長嶋、ヤクルト・野村両監督だけだったという。

 その後、入場者の所持品チェックは安全対策として定着。「オウムのサリン事件がセキュリティーシステムを強化する大きなきっかけになったのは間違いないでしょうね」と、前出の球団関係者は強調する。

 あれから23年、95年の開幕戦スタメンに名を連ねた選手で、いまもユニホームを着ているのは、開幕投手を務めた斎藤投手コーチ、川相二軍監督のふたりだけだ。この年の東京ドーム最終戦で、第48代4番・原が引退。第89代4番・岡本が生まれたのは翌96年である。巨人にとってはそういう意味でも節目のシーズンだった。

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