警備資料

アクセスカウンタ

zoom RSS 脱法シェアハウス暮らしから見えた日本に潜む「悪意ある人種差別」

<<   作成日時 : 2018/07/05 10:26   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

「私は売春婦」動画騒動でムカついたこと
 「外国人のキャラクターがよく出てくる」

 自著の評判をエゴサしていて、何度かそういう趣旨の感想を読んだことがある。

 確かに外国人のキャラクターは書いている。でも、よくというほど大勢じゃない。1冊につき一人、二人くらいだ。

 正直なところ、少なすぎると思っている。今まで刊行してきた小説の舞台はほとんどが現代の日本なので、実際の生活で出会う外国人の割合に比べると、やっぱり確実に少ない。それでも「この作家の小説は外国人キャラがよく出てくるなあ」と感じる人が一定数いるのだ。これはちょっと面白い現象だなと思った。

 コンビニや飲食店、職場、学校、ご近所さん等、現代日本で生活していれば今や都市部だけでなく地方でも、外国人と出会わず過ごす日はほとんどないと思う。反面、日本の小説や漫画、ドラマや映画の中に出てくる外国人の割合はまだ少ない感じだ。なので、ほんの数人の外国人が出てくる私の小説のその部分が「特徴」として受け止められたのだろう。

 もちろんフィクションが現実をそっくりそのまんま描く必要はないのだけれど、日本で生まれ日本語を話し日本人の両親を持つ日本人のキャラクターしか出てこないコンテンツを読んでいると、ふと顔を上げたときに見える現実の日本の姿との乖離に、やっぱり違和感をおぼえたりする。

 そんな中、ある事件が目に留まった。

 今年のサッカー・ワールドカップの日本対コロンビア戦会場で、コロンビア人男性がスペイン語を知らない日本人女性を騙し、「私は売春婦」などのスペイン語を言わせた動画を撮影しインターネットにアップロードした事件だ。このコロンビア人男性の行為は非常に悪質とみなされすぐさま批判の声が上がり、数日後にはコロンビア政府が正式に謝罪の声明を出す事態にもなった。

 心底嫌な話だ。ミソジニー(女性憎悪)や人種差別、職業差別などさまざまなヘイト要素が盛り合わせになっている。ただでさえムカムカする事案だが、私がさらに気になったのはネット上の反応だった。「日本人ならこんなことはしない!」という、おなじみのニッポンスゴイニッポンキレイニッポンハナニモワルイコトナンカシナイモーン反応をいくつも見てしまったのだ。

 私の怒りはさらに強火にフレームオン。するっつの。やりますよこういうクソなことはニッポン人様も。私はその現場を、実際に見てしまったことがあるのだ。

 10年近く前、私は都内某所のシェアハウスで生活していた。

 と言ってもおしゃれな空間でキラキラした男女が恋の駆け引きを楽しみながらスタバのラテや自家製スムージーを飲むようなアレではなく、どう見ても元は雑居ビルだろというボロい建物をベニヤ板のような薄い壁で3〜4畳ずつ区切り、簡易ベッドを置いただけという限りなくタコ部屋に近い作りのワイルドな物件だった。

 全室日当たりほぼゼロ、風呂はシャワーのみ、トイレに至っては男女共用というスタバが泣いて逃げていくような環境で、住人も老若男女ばらばら。そして、7割くらいが外国の人だった。

 その国籍もさまざまで、長期旅行者や留学生、仕事で来日している人など滞在理由も幅広く、生活時間帯もまちまち。当時早朝勤務の警備員兼シナリオライターだった私はあまり他の住人と顔を合わせる機会もなく、会釈をする程度の付き合いだったが、それでも1年近く生活すれば顔なじみもできてきた。常に寝不足でぼんやりしていた愛想の悪い私にもフレンドリーに挨拶してくれたのは、海外組の住人がほとんどだった。
間近で起きなければ気づかない「差別」
 ある休日、共有スペースの大きなテーブルで昼飯を食べているときだった。

 少し前に台湾から来日したAさんが、たくさんのノートや本を抱えてやってきた。Aさんは留学生で日本語学校に通いながら近所の居酒屋でバイトをしている、程度のバックボーンは知っていた。

 「宿題がたくさんあります」と言って勉強を始めたAさんだが、そこに一番長期滞在しているシェアハウスのヌシのような存在で、数カ国語を駆使する日本人・Bさんがやってきた。Bさんは社交的な性格で面倒見がよく、来日して日が浅い住人の相談に乗ったりもしているナイスガイだ。すでにAさんとも仲良くなっているらしく、二人はなごやかに世間話を始めた。

 しかしAさんが宿題のテキストを見せながら質問をした瞬間、Bさんの顔色が変わった。

 「ちょ、ちょっと王谷さん、これ見て。これ、俺の読み間違いじゃないよね……」

 突然話をふられて驚いたが、尋常でない様子に慌ててカレーを食っていたスプーンを置いて二人の側に行った。

 BさんはAさんの宿題を見ながら震えていた。それは手書きのテキストをコピーした紙の束で、日本語の文章と、その読みをローマ字で書いたものがいくつも並んでいた。数行読んでその異様さはすぐ理解できた。

 テキストの日本語部分は「外国人は泥棒が多い」「中国人はうそつきです」等、差別的な表現がびっしりと書かれていたのだ。ここには書かないが性的な揶揄もあった。ちなみにAさんは若い女性だ。

 Bさんが言葉を選びながらAさんに「このテキストは使わないほうがいい、なぜなら……」と説明すると、Aさんはショックを受けて泣き出してしまった。

 その後詳しい事情を聞くと、このとんでもないテキストは学校ではなく、個人がやっている日本語教室で配布されたものだという。勉強熱心なAさんは学校の掲示板に貼ってあった「ボランティアで日本語を教えます」という案内を見てその日本語教室に通いだした。

 初老の日本人男性が講師で、自宅内ではなくわざわざ庭にプレハブの教室を建てて生徒を募集していたので、ちゃんとした所だと思い入会した、らしい。もちろんテキストに書かれている日本語がそんなひどい意味だとは、一切教えられていなかった。

 Bさんと私は絶句して顔を見合わせてしまった。そんなコストと手間暇をかけて、システマティックに外国人を騙していじめている奴がいる。その偏執的な悪意に、心底恐ろしくなった。しかもそんな奴が近所の庭付き一戸建てに住んでいるのだ。普通の地域住民として。

 差別問題、特に人種差別問題が話題になるとき、「日本には人種差別はない。自分は見たことがない」という意見はけっこう見る。観測場所によっては、その意見がマジョリティな場合もある。でも、はっきり言うが日本には世界中の他の国や地域と同じように、人種差別が横行している。

 目立つものとしては繰り返される街頭でのヘイトスピーチデモや、ネットでのヘイト書き込み。入国管理局や外国人労働者を雇っている企業の横暴。そして上に書いた話のような、間近で起こらなければ気づかない、でも強い悪意を感じる差別。

フィルターを装着する人々
 「日本には人種差別はない」と言い切れてしまう人がいるのはなぜだろう。たぶん、その人たちはそもそも外国人がこの国で、すぐ側で、一緒に生活をしていることに気づいていない。報道で見ても実際に視界に入っていたとしても、同じ社会に暮らしている人たちなんだという感覚が無ければ、それは自分と無関係の他人事に思えてしまうのではないだろうか。

 個人が草の根的にやっている這い寄るような差別は、意識しないと被害者以外には存在が分からないことがある。Aさんに起きたことだって、Bさんに宿題の相談をしなかったら発覚は遅くなっていただろう。AさんとBさんの間に気軽に質問や会話ができるような関係性が作られていたから、知ることができたし手助けもできた。

 でも仮にAさんの存在をBさんや私が無視していたら、「そこにいない人への差別」なんて気づきも意識もすることはできない。Aさんは差別者に騙され続け、傷つくことになっただろう。

 東京オリンピックが近付いている。労働人口がダダ減りする中、かつてない人数の外国人労働者が日本で働いている。生活している。旅行者だって大勢来日している。

 「日本は単一民族の国」「人種差別のない国」は絵空事を通り越した、ただの嘘だ。彼らはここにいるし、私たちと同じインフラで生活しているし、日々喜びや苦しみに直面している。差別について考える、以前に、その存在を無視しないようにしないと問題があることにも気づけない。

 人間の脳の機能というのはすばらしく高度だ。気の持ちよう一つで、人は自分の見たいものだけを見て無視したいものは意識の外に放り投げてスルーできてしまう。フィルターを装備して、実態のある透明人間を作り出すことができる。

 私も昔仕事相手に世間話のついでに「同性愛者なんてリアルではほとんどいないでしょ。俺見たことないし」と言われ、大きなショックを受けた。その人は大会社の社員で、規模から考えると一緒に仕事をしているメンバーに必ず性的マイノリティはいるはずだし、だいたい学校を出て社会人をやってという生活をしていて身近に同性愛者が存在しなかったなんてことはありえない。絶対にいたはず。

 でも彼には見えていないし、誰も彼には打ち明けなかったのだ。それが彼の着けているフィルターだ。

 そうやってフィルターを作って「問題のないマジョリティの日本人だけが住んでいるきれいな日本」を見て過ごしていたら、とりあえずは気は楽だろうけど、フィルターは所詮フィルターなので、剥がれ落ちてしまったときは目の前に広がる現実に準備もなく対処しなくちゃいけないことになる。

 「差別だのなんだの、うざったいし、考えたくない」そういう人もいるのは分かる。なんにせよものを考えることはうざいしめんどくさい。でもまずは見えているものをいないことにするのを、やめてみませんか。それだけでも世の中少しだけいい方向に進む気がするので。

 私の小説に「こいつの小説、外国人の登場人物が少なすぎる」「外国人の描き方が非現実的」という感想がつく日も、いつかは来るのだろうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
脱法シェアハウス暮らしから見えた日本に潜む「悪意ある人種差別」 警備資料/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる