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zoom RSS 大礼の京都開催は「遠い過去」 前例踏襲を盾に経緯見えず

<<   作成日時 : 2018/05/11 19:04   >>

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 <消えた京都の存在感 下>
 平成に改元した1989年1月8日以降、当時の京都商工会議所会頭、故塚本幸一は何度も首相官邸に足を運んだ。「東京一極集中の是正のため、儀典都市としての役割を京都が分担したい」。即位の礼、大嘗祭(だいじょうさい)を京都で行う意義を熱心に語る塚本の表情を、官房副長官だった石原信雄(91)は覚えている。
 塚本と親交のあった石原は戸惑った。前年9月に昭和天皇の病を宮内庁が発表して以降、内閣官房、宮内庁の少数の幹部で極秘の会合を重ね、「(東京で実施する)方向性はほぼ決まっていた」からだ。京都で開催された昭和天皇の即位の礼では30カ国未満だった賓客は、158カ国まで増えると想定しており、宿泊場所や警備体制から東京以外に選択肢はなかった。
 極秘会合にしたのは当時、昭和天皇の容体や輸血を宮内庁が連日発表し時代祭が中止されるなど日本中が自粛ムードの中、代替わり儀式の方針や新元号を政府内で検討していること自体が不敬だと批判を浴びかねず、公にしなかったからだ。
 やんわりと難しさを伝える石原に、塚本は「大嘗祭だけでも」と食い下がった。石原は宮内庁に「一度、検討を」と依頼し、9月に発足した官房長官をトップとする即位の礼準備委員会の議題にも上げた。しかし、有識者ヒアリングで京都開催を支持する声はごく少数で、石原は宮内庁から「京都への移動は陛下のご負担になる」と伝えられたという。「象徴天皇制で初の大礼で、準備委では憲法20条の政教分離とどう整合性をとるかが最重要課題。場所はほとんど検討されなかった」と述懐する。政府は同年12月、東京開催を決めた。
 来年秋の新天皇即位儀式に向けても、京都の政財界は大嘗祭京都開催の実現性を探った。石原は昨秋から幾度か政府関係者から助言を求められ、「平成の儀式は最高裁で違憲判決が出なかった。前例踏襲すべき」と繰り返した、という。
 政府は今年1月、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」を設置。わずか3回の会合で、「前例踏襲」の基本方針を決めた。京都での光格天皇から約200年ぶりの退位の礼を「国事行為」に、剣璽(けんじ)等承継の儀で女性皇族が供奉しないことを確認。4月3日の閣議了解で大嘗祭も前回の閣議了解通り、「皇室行事」とし宮内庁の担当になった。
 内閣官房が公開した議事要旨によると、場所選定は議題にもされず、東京が適地なのか、前回の儀式が今の時代にふさわしい規模や様式なのか、十分に検証した形跡はみられない。基本方針の閣議決定より前に、高御座(たかみくら)の東京移送費など、即位関連の予算案は国会に提出されている。
 平安、江戸、帝国憲法と、時代により変容してきた皇室の「先例」。前回より日数の余裕もあり非公開とする事情もない。にも関わらず政府は「前例踏襲」で乗り切ろうとした。
 大嘗祭を東京で開催する理由を宮内庁に尋ねた。報道室は「今回は前例踏襲なので」。では前回東京で行った理由は? 「過去の資料をひもといても記載がない」と回答した。東京に移した正式な理由や政治決定のプロセスはベールに包まれている。
 平成に入って30年の時が過ぎ、大礼の京都開催は東京にとって、遠い過去となった。平成の即位時には関連行事の位置付けとして「茶会」(90年12月3日)が京都御所で催され、天皇皇后両陛下は、京都、滋賀などの政治家、文化人ら約600人の招待者と歓談された。だが今年3月に発表された行事予定では、京都で茶会を開催するのか、明らかではない。=敬称略

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