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zoom RSS <成田開港40年>日本の表玄関、守り続け 元管制官の誇り

<<   作成日時 : 2018/05/18 19:09   >>

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◇管制塔占拠、怒りばねに

 成田空港開港直前の1978年3月、乱入した空港反対の活動家に占拠された旧管制塔(高さ64メートル)が、老朽化のため、2020年に取り壊される。当時、35歳の管制官だった柴田謙二さん(75)は管制室から屋上に避難した。そんななすすべもなかった経験を胸に「日本の表玄関」の安心安全を淡々と守り続けてきた日々を、柴田さんは「開港までの苦しみがあったからこその宿命」と振り返る。成田空港は20日、開港40年を迎える。

 柴田さんは開港予定日4日前の78年3月26日、旧管制塔16階の管制室にいた。突然、反対派の怒号が聞こえたかと思うと、火炎瓶が管制室から下の階に続く階段に投げ込まれ、煙が充満した。活動家グループは、約1万4000人の警備をかいくぐり、敷地外のマンホールから排水溝を経由し、建物への侵入に成功したのだ。

 柴田さんと同僚ら5人は、非常階段から管制室上部の屋上に避難した。しかし、活動家6人は外壁をつたって窓ガラスを割り、管制室に入って来た。空港建設を巡っては、国の強引な手法に、用地明け渡しを拒む農家が続出。活動家が支援するようになり、激しい成田闘争に発展し、警察、反対派双方に死者も出ていた。

 屋上で身構えていると、ハンマーで機器を壊す音が聞こえ、割れた窓ガラスから書類が空に舞い上がると怒りがこみ上げた。「管制室におりる」。そう言い出した同僚を「死んでもいいのか」と必死に引き留めた。約2時間後、ヘリコプターで救助された。

 開港は2カ月遅れたが、それから17年、成田で必死に働いた。屋上から落下する悪夢に何度もうなされたが、「事故を起こしたら反対運動が再燃する」と歯を食いしばって頑張った時期もあった。あの日、自分は決して逃げたわけではない。退職したいま、成田で働いた間に人命を失う事故が起きなかったことを誇りに思っている。

 管制業務は93年、新管制塔(高さ87メートル)に移った。地上の航空機を安全に誘導するために利用されている旧管制塔も老朽化が進み、先月、移転新築工事が始まった。再来年の夏以降に取り壊される。

 柴田さんは今月14日、旧管制塔を訪れた。占拠した活動家たちには「きちんと謝る努力をしてほしい」と考える。空の安全を守る後輩たちには「管制官は多くの命を預かり、飛行機は人生のあらゆる場面を乗せている。これからも乗客が安心できるような仕事をしてほしい」とエールを送った。

 ◇近年、拡張路線進む

 かつて激しい建設反対運動が続き、開港さえままならなかった成田空港は、近年、滑走路新設などの拡張路線を突き進んでいる。

 成田国際空港会社の計画では、3本目のC滑走路(3500メートル)新設やB滑走路(2500メートル)の1000メートル延伸で10年後にも発着回数を1.7倍に増やす。A滑走路の夜間運用時間は20年東京五輪・パラリンピックまでに午前0時まで1時間延長し、格安航空会社専用の旅客ターミナルビルも22年3月までに2倍に拡張する予定だ。

 こうした整備を進める背景には、地位低下への懸念がある。10年に再国際化された羽田空港の16年度の国際線旅客数は成田のほぼ半分の約1564万人に達し、「国際線は成田、国内線は羽田」のすみ分けは崩れた。他のアジアの空港は24時間運用を武器に拡張を続け、国際線旅客数の世界ランキングも、06年の6位から15年は17位に後退。空港の地盤沈下が、地域経済に与える悪影響を懸念する地元の理解を得やすい状況が続いている。空港会社の夏目誠社長は「機能強化が実現すれば、日本の表玄関としての地位は将来的に維持できる」と話した。

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