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zoom RSS 皇室別荘集中する葉山 最初は有栖川宮家 御用邸建設の誘因に 跡地は美術館に 神奈川

<<   作成日時 : 2018/04/30 22:39   >>

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 葉山御用邸に加え、旧北白川宮別邸、建物が現存する旧東伏見宮別邸(イエズス孝女会修道院旧館)など、皇室の別荘(別邸)が集中した神奈川県葉山町に、皇族として初めて別邸を置いたのが有栖川宮家だとされる。旧有栖川宮葉山別邸は明治23〜24年に設置され、宮家断絶後に高松宮家に引き継がれ、跡地は平成15年に県立近代美術館の葉山館となっている。

 葉山に別邸を置いた有栖川宮熾仁(たるひと)親王は、江戸後期の天保6(1835)年に生まれた。明治天皇の信頼が特に厚く、戊辰戦争では新政府軍を率いて江戸城の無血開城を実現。明治23〜24年、皇族として初めて葉山に別邸を置いた。

 ■異母弟が引き継ぎ

 25年に明治天皇の嫡母に当たる英照皇太后が、26年には皇太子時代の大正天皇が、この別邸に滞在。皇室侍医であったドイツ人医師のベルツの進言もあり、明治天皇も葉山の地を気に入って、有栖川宮別邸の隣接地に27年、葉山御用邸が創設されたと伝えられる。

 熾仁親王は翌28年に死去。異母弟の威仁(たけひと)親王が有栖川宮家を継いだ。威仁親王は同宮家を継ぐ以前の24年、英国留学の経験を買われ、来日したロシア帝国のニコライ皇太子について、明治天皇の名代として接待役を命じられており、やはり明治天皇の信頼が厚かったとされる。

 ニコライ皇太子は、現在の滋賀県大津市で警備中の巡査に切られて負傷。このいわゆる「大津事件」では、機転を利かせた威仁親王の要請によって明治天皇自らがニコライ皇太子を見舞い、ロシアとの関係悪化を回避させる功績をあげ、32年から36年までは皇太子時代の大正天皇の教育係を務めるなど、一層厚い信頼を得た。

 ■実録にも記載が残る

 宮内庁がまとめた昭和天皇唯一の公式記録集『昭和天皇実録』には、39年7月29日に「午前、雍仁(やすひと)親王・宣仁親王と共に御徒歩にて(葉山の)有栖川宮別邸へお成りになり、威仁親王と御対顔になる」との記載がある。有栖川宮別邸は当時、かやぶきの田舎風建築物だったと伝えられる。

 だが、威仁親王は息子が早世。ほかには後継者に恵まれず、大正2(1913)年に死去したことで、有栖川宮家の断絶が事実上確定した。当時の様子も実録に記載がある。

 同年3月3日、「静養中の威仁親王容態悪化の報をお聞きになり、御尋の電報を御発送になる」。同7月6日には「療養中の威仁親王が危篤との報をお聞きになり、有栖川宮の後継なきことに関し御下問になる」とあり、「昨五日夜薨去(こうきょ)するも、喪を秘す」と注釈がある。

 そして、同10日に「午後八時二十分、威仁親王の薨去が正式に発表される」と記されている。同20日付の大阪毎日新聞には「昨日の大阪市会」と題した記事で「十九日午前九時より市会議事堂に大阪市会を開き(中略)議長は去る十日有栖川宮威仁親王殿下薨去に際し平山同宮家別当迄(まで)弔電を捧呈(ほうてい)したることにつき承認を求め(中略)午後五時散会せり」との記載も見て取れ、5日に亡くなっていたことが公には完全に伏せられていた事実がよく分かる。

 ただ、これで宮家は断絶となったが、教育係としての交流を通じて威仁親王を慕っていた大正天皇は、第3皇男子に高松宮の宮号を与えて、有栖川宮家の祭祀(さいし)などを継承させたという経緯があったといわれる。

 ■“とんでも事件”が

 有栖川宮家は、江戸時代の「四親王家」の一つ。伏見宮家と閑院宮家は終戦直後まで続いたが、有栖川宮家と桂宮家は明治から大正にかけて断絶した。

 しかし、断絶した旧有栖川宮家の“継承者”をかたる、とんでもない男が平成15年に登場する。熾仁親王の「熾」の文字などをイメージしたかのような「有栖川識仁(さとひと)」を自称したこの男は同年4月6日、東京・赤坂のカナダ大使館の地下にあるイベントホールに俳優の石田純一さんら有名芸能人を含む約400人もの人々を集めて、虚偽の結婚披露宴を開催。招待客から祝儀をだまし取ったのだ。

 結局“ニセモノ”は同年10月に詐欺容疑で警察に逮捕されて「自分は皇族関係者だ」との主張は一蹴され、実刑判決を受けて服役した。話が脱線したが、威仁親王の死後、葉山町の旧有栖川宮別邸も高松宮家に引き継がれ、その跡地は現在、県立近代美術館の葉山館となっている。

 隣接していた葉山御用邸の別邸跡は、現在では町立の葉山しおさい公園となっている。

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