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zoom RSS 確信犯を落とせ! オウムを取り調べた「傍流検事」の知られざる過去

<<   作成日時 : 2018/04/15 23:46   >>

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独自の取り調べ指導
 東京地検11階の次席検事室で、甲斐中辰夫は膨大な書物と格闘していた。捜索によって押収されたオウム真理教の教本や説法集だ。

 甲斐中はテロリズムを正当化するための独特な教義がオウムの深層に隠れていると睨んでいた。教義の中にある論理的破綻こそが、教団幹部を「割る」(自供させる)材料となる。

 しかし、いくら書物を読みこんでも、該当するものは存在しなかった。何日もかかって、ようやくたどり着いたのが、「ヴァジラヤーナの教え」だ。これは、殺人行為を「ポア」の名のもとに実行することを正当化するもので、麻原の指示によって殺人を犯した弟子は功徳を積むというものだった。

 これこそがオウムの犯罪の拠り所であり、「最大の弱点」が隠されている――。

 甲斐中は、特捜部や全国の地検から次々と応援検事を招集し、彼らが着任するとまず、次席検事室に呼び出した。

 「君らは黙秘の被疑者を20日間取り調べたことはあるか? 

 甲斐中が検事に問うと、大抵は首を横に振った。容疑を否認する被疑者を調べた経験はあっても、雑談にすら応じない完全黙秘の被疑者を調べた経験などほとんどの検事がなかった。

 「オウムの被疑者の黙秘の壁は固いぞ。特捜部の取り調べ技術はオウムの連中にはまったく役に立たん。彼らは確信犯であって、ホワイトカラーや暴力団とは違う」

 「確信犯」とは、思想や教義に洗脳されて、理想的な社会を実現する目的で罪を犯した者を指す。確信犯は権力と向き合うと完全黙秘で抵抗する。特捜部が相手にする政治家や企業のトップより、自白獲得ははるかに困難だ。

 極左による爆弾ゲリラ事件が頻発していた頃の活動家たちは完全黙秘が常套手段だった。何を話しかけてもうんともすんとも言わない。完全に心を閉ざし、権力との闘争心を剥き出しにする。数々の「確信犯」を取り調べてきた甲斐中の経験が生きてきた。

黙秘の壁を崩せ
 甲斐中の公安検事としての原点は1972年2月の「浅間山荘事件」だ。連合赤軍のメンバーが長野県佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に立てこもった事件である。

 この事件では、犯人との銃撃戦によって機動隊員ら3人が死亡、重軽傷者は27人にのぼったが、立てこもり10日目に警察が強行突入した。逮捕されたのはリーダー格の坂口弘、坂東國男、吉野正邦、そして19歳と16歳の兄弟の5人だった。

 甲斐中は当時32歳、任官7年目の若手検事だったが、吉野雅邦(当時23歳)の取り調べを担当することになった。

 吉野は都立日比谷高校から横浜国立大学に入り、「京浜安保共闘(日本共産党革命左派神奈川県委員会)」を経て、「連合赤軍」設立に参加した若者だった。

 人質立てこもりは現行犯逮捕によって解決したが、吉野からは数多くの余罪を自白させなければならない。

 連合赤軍は森恒男最高幹部率いる「共産同赤軍派」と永田洋子をリーダーとする「京浜安保共闘」が1971年12月に合流して結成された。メンバーは29人になったのだが、彼らは群馬県榛名山などの山岳アジトを点々とする間、「総括」と称する連続リンチ殺人を繰り返していた。死者は12人にのぼった。

 さらに赤軍派と合流する4ヵ月前に、京浜安保共闘は二人のメンバーを殺害していた。のちに「印旛沼事件」と呼ばれるこの事件の解明こそが甲斐中の任務だったのだ。

 取り調べは甲斐中検事の班と長野県警チームの二班が交替で行うことになった。上田警察署の取調室で向かい合った吉野は想像通り手強かった。

 椅子に座った吉野が俯いて座ると、ばさりと赤い長髪が垂れ、顔を覆い隠した。表情はまったく見えなかったが、気付くと髪の毛の向こう側から挑発的な眼で甲斐中を睨み付けていた。ぎらりと光る、獣のような眼だったという。浅間山荘で放水と催涙ガスを浴びていたため、吉野の全身の皮膚に湿疹が広がっており、「権力」への敵意をむき出しにしていた。

 甲斐中が何を話しかけても、吉野は完全黙秘を貫き「割る」どころではなかった。10日目にようやく雑談に応じるようになったが、県警チームに交替すると再び殻に閉じこもった。

特攻帰りの刑事
 甲斐中に与えられた時間は二拘留、20日間だけだった。3月25日には次の赴任地である岡山地検に着任しなければならなかった。それまでに自白を録らねばならないが、県警側の取り調べがうまくない。

 県警チームは長野県警が誇る最強コンビという触れ込みだった。主任の取調官は警備部の警部補だった。だが実際には、事件経験のない公安捜査員で、いわゆる「情報屋」だった。もう一人は刑事部捜査二課の汚職担当の巡査部長で、取り調べには慣れていたが、取り調べの立会いの役割だった。

 県警の取り調べの間、甲斐中は上田警察署の署長室でストーブにあたって茶を飲みながら、署長や署幹部と雑談を続けた。情報収集のためだ。

 「署長さん、どなたか取り調べのうまい警察官はいませんかね? 

 ある日、甲斐中が聞くと、署長はこう言った。

 「実は私が目をかけている奴がいるんだよ。泥棒担当の刑事だが、特攻隊帰りでね……」

 甲斐中が署長に紹介されて会ったのは、上田署刑事課に所属する40歳代後半の巡査部長だった。盗犯担当というベテラン刑事は本部勤務経験もなく、人工衛星のように長野県内の所轄をぐるぐると回る、出世とは無縁の経歴だった。戦時中は陸軍飛行戦隊に所属、戦闘機でサイパンや沖縄へ出撃したが、生きて終戦を迎えたという男だった。

 男の名は勝俣光男といった。甲斐中は20歳近く年配の勝俣巡査部長と会った。戦闘機に乗っていた戦時中の話、そして警察官に転じてからの人生を聞き出した。淡々と語る勝俣の迫力に痺れた。

 『……この男は本物だ。特攻隊でぎりぎりの状況下で生き延びて、再び国民を守ろうと警察官になっている。一度は国のために死のうとした人間の強みがある……』

 甲斐中検事は上田署長と勝俣巡査部長に頭を下げ、こう言った。

 「是非、取り調べに加わって頂きたい。勝俣さんなら吉野を割れる気がするんです」

 勝俣はこう答えた。

 「俺は泥棒担当の刑事だ。公安事件なんて知らないぞ」
「刑事も公安も関係ありません。連合赤軍の連中も命を捨てても構わないと思って事件を起こしています。彼らの良いところも悪いところも理解している人間じゃないと割れません。私はあなたなら出来ると思うんです」

 「特攻隊帰り」なら連合赤軍の活動家たちの心理を理解できるはずだ。彼らの深層に自己を重ね合わせることが出来る取調官でないと、自供を引き出すことは不可能だ。甲斐中はこう信じていた。

 甲斐中の要望で、吉野雅邦の取り調べ班は3班体制になった。甲斐中が取り調べた後、勝俣が引き継いで取り調べ、最後に従来からの県警チームが取り調べるという順番だった。県警本部のメンツを潰さない苦渋の選択だった。

 「印旛沼事件」で吉野は、脱走メンバー二人の処刑に関わっていたという情報があった。だが、頑として口を割らないので、遺体の発見すら不可能だった。このままでは迷宮入りとなってしまう。

 甲斐中の取り調べで吉野の鎧を脱がせ、続いて勝俣が己の生き様を吉野にぶつけた。二人は、頭ごなしに連合赤軍の思想を否定することはしなかった。

 吉野には弱点があった。ともに活動に参加した妊娠中の恋人も山岳アジトで繰り広げられた「総括」で殺害されていた。しかも吉野はこの女性を縛るなど、殺害行為に加わっていたのだ。

 甲斐中は勝俣に、過激派の取り調べのノウハウを徹底的に教え込んだ。深夜まで徹底的に刷り合わせ作戦を練るうちに、若い検事と老練な刑事との間に強固な信頼関係が芽生えた。

 拘置期限満期が接近したある日、勝俣が殺害された恋人の胎児の写真を持って取り調べに臨んだ。

 「これがお前さんの子供の写真だ。お前も人の親の気持ちがわかっただろう。殺された二人を親御さんのもとに帰してやってくれないか……」

 黙秘を続けていた吉野はこの一言で落ちた。印旛沼事件を全て自供したのだ。千葉県の印旛沼近くの現場で吉野が指定した場所を掘ると、二人の遺体が見つかった。

 甲斐中が睨んだとおり、勝俣巡査部長は見事に吉野を陥落させた。かつて特攻隊として命を賭して出撃し、生き残って終戦を迎えた男が、命懸けで国を変えようとして殺人集団に身をおいた一人の男から真実を引き出したのである。

「割り屋」
 甲斐中はオウム捜査の応援にやってきた検事にこう語った。

 「オウムの信者は来世があるから死んでも構わないという連中だ。その中でも、逮捕された被疑者はヴァジラヤーナの教えを盲信していて、サリンで一般市民を殺すのが正しい行為だと信じている。『お前は人殺しだ』なんて怒鳴って、人格否定しても、かえって確信を強めるだけだ。

 まずヴァジラヤーナの教えを勉強して、奴らの世界に入り込め。彼らの行為のどこがどのようにおかしいのか、小さなほころびを解きほぐして、間違いを悟らせるんだ。怒鳴るのは無意味だぞ」

 オウムの被疑者は罪の意識など、まったく感じておらず、自分たちがおかした行為は正しいことだと信じきっている。地位からの転落を恐れる人間でもないのだから、プライドを叩き潰すような、特捜部的手法は通用しないと、甲斐中は諭した。

 当時、特捜部には、部屋の電気を消して暗闇で被疑者や参考人を怒鳴りつけたり、壁に向かって立たせて罵声を浴びせるなど、異常な取り調べ手法も横行していた。甲斐中はこんな特捜部的手法を根本から否定したのだ。

 甲斐中はこんな「刃」を被疑者の喉下に突きつけろ、と指示した。

 <……罪のない人を殺す行為がなぜ救済になるのか。なぜOLやサラリーマンたちが苦しんで死ななければならなかったのか。君たちが信じる教えを、亡くなった人、嘆き悲しむ遺族に、わかりやすく説明しろ。それが君に出来るのか! >

 修羅場を潜った公安検事の迫力に若手検事たちは圧倒された。検事たちはオウムが出版している本を買い漁って、オウムの教義や思考回路を頭に叩き込んで取り調べに臨むようになった。

 だが、甲斐中の理論を一朝一夕に実行できる検事は少なかった。ほとんどが被疑者の黙秘に苦しんだ。検事のほうにしてみれば、目の前に座る被疑者が他にどんな罪を犯したのか、手がかりはまったくない。ぶつける材料すらないまま、新たな自供を引き出せと言われているのだから無理もない。

 検事の中には我慢できずに被疑者に怒鳴り声を張り上げ、怒りをぶつける者もいた。甲斐中の言った通り、被疑者はいっそう固くなった。

 主任検事の鈴木和宏は、自供を引き出せない検事を呼び、甲斐中の理論を咀嚼して伝えた。鈴木は机に指で線を引きながら、こういった。

 「ある人物がひとつの最終到達点に向かって進もうとする。でもスタートするとき、その方角がわずか5度、間違えていた。最終到達点が遠ければ遠いほど、大幅に違うところにたどり着いてしまう。オウムの連中というのは、最初に進むべき角度が間違っただけなんだ。もともと善良な人間だと認めて、彼らの生き様に共感しながら調べるんだ」

 甲斐中はこの頃、最高検のある幹部から、こう警告された。

 「君たちは現場に『徹底的に自白を取れ』と言っているようだが、問題(検事暴行事件)も起きたばかりなんだから、少し注意したほうがいい」

 特捜部で検事が取り調べ相手に暴力を振るう事件が発覚したばかりだった。自白を取るよう現場の検事に指示すれば、また問題が再発する。そんな心配をしていたのだ。

 甲斐中は反論した。

 「検事が自白を目指すのは当たり前です。方法論抜きで結果を出せというから、検事がむちゃな取り調べをするようになるんです。自白をしないからと言って、私は検事を責めることはない。結果より過程を重視して、一生懸命被疑者に向き合うことが大事なんです」

 突出した正義感をふりかざす上司が、取調官に無理を要求して追い詰める。それが人間性を否定するような取り調べに走る原因だ。特捜部の問題は過剰な精神主義だ。若い検事たちに既存の方法論を忘れさせ、教育によって確信犯の取り調べ法を徹底的に叩き込む。甲斐中には最強の捜査組織を作るための、明確な戦略があった。

 だが、次のテロへのタイムリミットが迫っていた。

 『国松長官の次は自分が狙われるのではないか――』

 こんな恐怖に支配される警察幹部も現れたのだ。検事たちが取調室でもがき苦しむ中、捜査に再び暗雲が漂い始めた。

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