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zoom RSS <大震災7年>「忘れない」 避難生活今も7万3000人

<<   作成日時 : 2018/03/11 21:53   >>

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東日本大震災は11日、発生から7年を迎えた。犠牲者を追悼する行事が各地であり、地震が起きた午後2時46分に合わせて鎮魂の祈りをささげた。死者は1万5895人、行方不明者は2539人。震災関連死も3600人を超え、いまだに約7万3000人が避難生活を送っている。

 正午すぎ、宮城県気仙沼市の杉ノ下高台で、後藤初枝さん(59)は慰霊碑の裏面に刻まれた氏名を見つめていた。いとこの佐藤秀一さんと、その妻きみ子さんを亡くした。秀一さんを「お兄ちゃん」と慕い、夏休みには宿題を教えてもらった。「いまだに夢のようで実感がわかない」と心境を語る。「世の中は『前を向いて』とか『新たな一歩』という話になるが、私はまだ受け入れられない」と涙をぬぐった。

 同じ頃、岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区にある追悼施設で、洞口(ほらぐち)定子さん(80)は夫悦男さん(当時75歳)に「お父さん。こちらは元気でやってますよ」と呼び掛けた。悦男さんはパソコン教室に出掛け、津波に流された。仮設住宅で1人暮らしをする定子さんは仏壇の前で1日の出来事を語りかける。「また旅行に行きたかったですね。寂しい時もあるけど、助かった命です。お父さんの分まで頑張って長生きしますよ」

 「戻って来い、戻って来い、戻って来い」。午後1時20分ごろ、宮城県石巻市北上地区に新たに完成した慰霊碑の除幕式で、石川祐一さん(56)は「希望の鐘」を3回、鳴らすたび心の中で叫んだ。行方不明の長男拓真さん(当時26歳)は警備会社社員として、この地にあった市北上総合支所で住民の避難誘導中に津波にのまれたとみられる。

 北上地区は約300人が犠牲となり、慰霊碑には拓真さんの名も刻まれた。祐一さんの妻貴美子さん(56)は「息子が最後までいたという印。ここに来れば会える」と話した。

 東京電力福島第1原発事故による避難指示が昨年4月に大半の地域で解除された福島県富岡町では、初めて町内で慰霊祭が開かれた。

 馬上(まがみ)正一さん(69)の母きぬゑさんは昨年7月、避難中の同県郡山市で97歳で亡くなった。午後3時50分ごろ、参列を終えた馬上さんは「生前は『富岡に戻りたい』と話していた。古里への未練があったのだろう」と語った。

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