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zoom RSS 森の部族に身を捧げた男、二度と帰ってこなかった

<<   作成日時 : 2018/03/13 18:56   >>

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ボルネオ島の先住民にほれこみ、助けようとした男の数奇な人生
 ボルネオ島の先住民たちと人生をともにした二人の欧米人がいた。ひとりはスイス人の環境保護活動家。腰巻きを身に着け、吹き矢で狩りをする術を会得した彼は、ジャングルで姿を消した。もうひとりは米国の美術商。彼はダヤク族の芸術を求めて森の奥深くへ入り込んでいった。

【写真】森の部族に身を捧げた男、ブルーノ・マンサー氏

 作家のカール・ホフマン氏は新著『ボルネオ最後の野生の男(The Last Wild Men Of Borneo)』の中で、この二人の男性と、彼らのボルネオに対する執着について書いている。ホフマン氏に話を聞いた。

* * *

――『ボルネオ最後の野生の男』の主役である、スイスの環境保護活動家ブルーノ・マンサー氏と、米国の美術商マイケル・パーミエリ氏について教えてください。

 ブルーノは1954年生まれで、戦後の豊かな時代に典型的なベビーブーマーとして育ちました。スイスでは成人男性はみな兵役に就くのですが、ブルーノはこれを拒否したことにより裁判で実刑判決を受け、4カ月間投獄されました。刑期を終えた彼はアルプス高地に向かい、牛を育ててチーズを作る仕事をした後、羊飼いになります。それはまるで修行のような生活です。スイスの山の上で、自然の壮大さと厳しさ、そして孤独に彩られた日々を送るのです。

すべてを自給自足したい
 しかしブルーノはこれに満足しませんでした。彼は商業文化との関わりを完全に絶ち、金銭を使わずにすべてを自給自足したいと考えたのです。彼はタイへ飛び、半年間東南アジアを放浪した後、ボルネオ島のムル洞窟に向かう英国の探検隊にこっそり忍び込みます。そこから彼はプナン族を探して、未開の奥地を目指すのです。

 マイケルはブルーノより少し年長で、ベトナム戦争の反対運動が始まる頃には成人していました。サーフィンが好きで、ブルーノのようなインテリタイプではありませんでした。1964年に徴兵の知らせを受けますが、これを無視して米国からメキシコに向かい、そこから貨物船で大西洋を渡りました。ヨーロッパで10年間過ごした後、インドネシアのバリ島とボルネオ島に向かいます。

 マイケルとブルーノはまったく違うタイプの人間ですが、一方で非常に似ているところもあります。マイケルの目的が、ブルーノのそれよりも金銭的なものだったことは確かですが、彼は「ボルネオに行って金持ちになるぞ!」と思っていたわけではありません。彼は部族の人々と、彼らの不思議な世界に強く惹かれたのです。彼が望んでいたのはそれを目撃すること、そして冒険をすることでした。

――ブルーノ・マンサー氏が人生を捧げたボルネオ島のマレーシア、サラワク州のプナン族(ペナン族)について教えてください。

プナン族は森の奥に住む部族で、食べ物の状況に応じて数週間毎に移動しながら、簡単な住居を造り、たいていは家族同士の小さな集団で狩りや採集をして暮らしていました。

 ブルーノは元々、どこへ行って何をするかをはっきりと決めていたわけではありませんでした。ただジャングルを10日間歩いた後でプナン族を見つけ、徐々に彼らの世界に入り込んでいったのです。数週間、数カ月と経つうちに、プナン族はブルーノを受け入れるようになり、彼の方はプナン語をすぐに覚えました。ブルーノは西洋の生活習慣を捨て去ろうと必死に努力しました。裸足でジャングルを歩き、プナン族と同じように狩りをしました。

 皮肉なのは、ブルーノが、プナン族自身よりもプナン族になりきろうとしていたことです。彼はプナン族の生活を理想化し、プナン族は外界と一度も接触を持たずに生きてきた人々であるという、事実とは異なる幻想を抱いていました。当時のプナン族は、世界中の人々と同じように、Tシャツやスニーカーを身に着けたり、髪を短く切ったり、腕時計を使ったりし始めていました。一方でブルーノは、木の皮で腰巻きを作り、プナン族の伝統的な髪型を真似て髪を伸ばしていました。

 プナン族の人々はブルーノのことを、同胞であり、ソウルメイトのような存在であるとみなしていました。しかしその一方で、彼らは常にブルーノを見たままの存在、つまり自分たちにはない力を持つ白人であると認識していました。プナン族にとってのブルーノは、過去の歴史において強大な力を発揮した「英国人」の象徴でした。英国人の王「ホワイトラジャ(白人王)」が君臨した時代は、プナン族にとって平和な時代でした。政府が近隣のダヤク族から自分たちを守ってくれたからです。ダヤク族は暴力的で、プナン族よりもはるかに世慣れていました。そんな事情から、ブルーノは白人の王がいた黄金時代を引き継ぐ存在となったのです。これは非常に興味深いと同時に、皮肉な事実です。

――マイケル・パーミエリ氏はボルネオ島で「単に物理的に遠い場所ではなく、形而上的に遠い場所――ダヤク族の豊かな精神世界」を目指して旅をしたそうですが、ダヤク族の文化と芸術とはどういったものなのでしょうか。

 ダヤク族は、驚くほど豊かで高度な文化を持っています。彼らは触るものすべてを美しく変身させてしまうのです! ダヤク族は絵を描き、彫刻を彫り、ビーズで見事な作品を作ります。ダヤク族の芸術は彼らの精神世界の投影であり、その世界の中心には生と死、祖先を象徴する「生命の樹」が立っています。現代の一神教では、生と死の世界はまったく別の場所だとされますが、ダヤク族は霊魂を鎮めるための儀式を通じて、二つの世界が同時に存在すると考えます。だからこそ、彼らは死や米の収穫などにまつわるさまざまな儀式を行い、それがマイケルを夢中にさせたすばらしい芸術を生んだのです。

――サラワク州での森林破壊の現状と、プナン族への影響について教えてください。

 サラワク州ではずいぶん前から森林の伐採が行われていましたが、かつてはそのペースが遅く、範囲もまばらでした。マレーシアが独立して体制が変わると、地元の政治家が森林の伐採権を売り出し、その大半は彼らの友人や親類の手に渡りました。その結果、伐採のペースは特に70年代、80年代には大幅に加速しました。

 ちょうどブルーノがサラワクにやってきた1984年頃、東プナン族とダヤク族が昔から暮らす土地でも伐採が始まろうとしていました。ダヤク族は先祖伝来の土地を持っており、少額とはいえ補償金の交渉をすることができました。しかしプナン族には何もありません。プナン族の意識の中では、すべての土地は彼らのものであり、彼らの先祖は森全体に埋葬されていました。一方、マレーシア政府にとって、プナン族は最底辺の存在でした。多数派であるイスラム教徒や中国系の人々はダヤク族を見下し、ダヤク族はプナン族を見下していました。伐採は彼らの世界をまるごと破壊したのです。

――パーミエリ氏が、時に怪しげな状況下で購入した芸術作品の多くは、今では一流の美術館に収められています。パーミエリ氏の冒険と取引について教えてください。

「怪しげ」という言葉は必ずしも正しくありません。マイケルが作品を購入した相手であるダヤク族自身が、島の外での作品の価値を理解していなかったという意味では、怪しげな面があるのは確かです。ただしマイケルは、ダヤク族が適正と考える値段で取引をしています。ですからこの件に関しては、倫理的にグレーな部分が大いにあるのです。

 マイケルは10年間にわたってボルネオに通い、一度に数カ月間を現地で過ごし、驚くほど強力なネットワークを作り上げました。何週間もかけて川を上り、外の世界とほとんど接触を持たない場所まで足を踏み入れました。さらにはマハカム川で昔から使われている貨物船まで購入して、その上で暮らしていたのです。

 私がボルネオ島を訪ねたある日、彼は「見せたいものがある」と言って寝室のマットレスを持ち上げ、60センチ×90センチくらいの厚紙の分厚い束を取り出しました。その紙には、彼の手で非常に細かく美しい地図が描かれていました。世界で3番目に大きな島の広大な土地の、あらゆる村や、川の支流が書き込まれていました。彼はそのすべてに足を運び、地図に記したのです。

――マンサー氏は最終的には警察から追われる身となり、同時に世界のメディアで取り上げられるスターになりました。当時のマンサー氏の生活と、2000年に起こった失踪について教えてください。

 ブルーノは、マレーシアで最も有名な手配犯となりました。マレーシアの人々にとって、彼はプナン族関係のトラブルの象徴であるだけでなく、「白人王の帰還」を具現化した存在だったのです。彼は2度逮捕され、2度とも砲弾が飛び交う中を脱出しました。その頃ヨーロッパでは、プナン族救済の運動が拡大しつつありました。

 ブルーノの親友が、彼を連れ戻すためにボルネオに向かい、彼は偽造文書と変装を駆使してこれに成功しました。人々の前に現れたブルーノは、いかにも白人が思い描くジャングルの男といった姿だったため、ターザンのようにもてはやされました。人々はプナン族よりも、むしろブルーノの方に興味を持ち始めました。吹き矢で狩りをし、腰布を巻いている一方で、夕食会で完璧なスイスドイツ語を話す彼のことを、まるでイエス・キリストのようだと言う人もいたほどです。

 危ういところを助け出されたというのに、ブルーノはときどきこっそりとボルネオに戻るようになりました。それからの10年間、彼はサラワクの森林伐採を止めるために、ハンガーストライキを行うなど過激な活動を続けましたが、彼の努力が実ることはありませんでした。その現実が、彼の精神を蝕んでいきました。2000年にボルネオに向かったとき、彼は奇妙なメモを残していき、誰もが彼はもう戻ってこないのだと感じました。

 彼の支持者や家族は、ブルーノがマレーシア政府に雇われた警備員や森林伐採者に殺されたのだと信じたがっています。しかしおそらく、彼は自殺をしたというのが現実でしょう。ただし首をつったり、手首を切ったりといった手段をとったわけではなく、生きるか死ぬかのギリギリの状態で暮らしていたのだと思います。彼は森の奥深くに入っていき、二度と出てきませんでした。

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