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zoom RSS 天皇さえ実物をみられない「三種の神器」

<<   作成日時 : 2017/12/04 17:41   >>

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一般に天皇の信仰は神道であると考えられている。しかし天皇自身が明言したことはない。なぜ神道だと考えられているのか。その根拠のひとつが「三種の神器」だ。さまざまな祭祀で使われているが、天皇さえ実物を見ることはできないという。それでは天皇の「神聖さ」とは、どういう意味なのか。宗教学者の島田裕巳氏が問う――。(第2回)

 ※本稿は、島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)の「第1章 近代が大きく変えた天皇の信仰」より抜粋したものです。

■皇居の奥深くにある宮中三殿

 「はじめに」でもふれたように、一般には、天皇、あるいは天皇家の信仰は神道であると考えられている。だが、そのことを、天皇自身は明言していないし、憲法に規定されているわけでもない。

 ではなぜ、天皇の信仰は神道であると言えるのだろうか。

 その根拠の一つとなるのが、皇居にある「宮中三殿」の存在である。

 皇居の西側の部分は、「吹上御苑(ふきあげぎょえん)」と呼ばれる。そこには、昭和天皇夫妻が住居とした「吹上大宮御所(ふきあげおおみやごしょ)」や現在の天皇夫妻が住む「御所(ごしょ)」があるのだが、そのほかに、宮中三殿が設けられている。一般の市民がそこに足を踏み入れることはできない。

 宮中三殿は、「賢所(かしこどころ)」、「皇霊殿(こうれいでん)」、「神殿(しんでん)」と呼ばれる三つの建物からなっている。賢所が中心で、そこには、皇室の祖神とされる天照大神が祀られている。皇霊殿では、歴代の天皇や皇族の霊が祀られている。神殿では、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)からなる天神地祇(てんじんちぎ)、そして、天皇を守護する神産日神(かみむすびのかみ)以下8柱の神が祀られている。

 宮中三殿においては、「宮中祭祀」が営まれている。戦前において、宮中祭祀は、皇室に関係する天皇の命令である「皇室令(こうしつれい)」に含まれる「皇室祭祀令(こうしつさいしれい)」によって規定されていた。だが、戦後においては、皇室令は廃止されている。現在の宮中祭祀については、法的な裏づけはない。あくまで天皇ないしは、天皇家の私的な祭祀と位置づけられている。

 年間の宮中祭祀をあげれば、次のようになる。

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1月1日 四方拝(しほうはい)、歳旦祭(さいたんさい)
1月3日 元始祭(げんしさい)
1月4日 奏事始(そうじはじめ)
1月7日 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい)、昭和天皇祭御神楽(みかぐら)
1月30日 孝明天皇例祭
2月17日 祈年祭(きねんさい)
春分の日 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭(しんでんさい)
4月3日 神武天皇祭、皇霊殿御神楽(こうれいでんみかぐら)
6月16日 香淳皇后例祭(こうじゅんこうごうれいさい)
6月30日 節折(よおり)、大祓(おおはらい)
7月30日 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい)
秋分の日 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭(しんでんさい)
10月17日 神嘗祭(かんなめさい)
11月23日 新嘗祭(にいなめさい)
12月中旬 賢所御神楽(かしこどころみかぐら)
12月23日 天長祭(てんちょうさい)
12月25日 大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい)
12月31日 節折、大祓
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 全体で18回にのぼる。こうした皇室祭祀は、「大祭(たいさい)」と「小祭(しょうさい)」に区別される。大祭は天皇自身が祭祀を主宰するものであり、小祭は天皇の私的使用人とされる掌典長(しょうてんちょう)が祭祀を行い、天皇は礼拝だけをするものである。今あげたもののうち、大祭は、元始祭、春季皇霊祭と春季神殿祭、神武天皇祭、秋季皇霊祭と秋季神殿祭、神嘗祭、新嘗祭である。他はすべて小祭である。

 大祭と小祭のほかに、毎月の1、11、21日に行われる「旬祭(しゅんさい)」がある。また、臨時に「式年祭(しきねんさい)」が営まれる。これは、歴代の天皇の崩御(ほうぎょ)から一定の期間が経ったときに行われるもので、仏教の年忌供養にあたる。宮中祭祀が報道されることはほとんどない。だが、毎年、こうした数多くの祭祀が、皇居の奥で営まれているのである。

■三種の神器が天皇を神話と結びつける

 天皇がかかわる宮中祭祀は、年間で30以上にのぼり、平均の所要時間は30分から1時間である。もっとも重要な新嘗祭については2時間もかかる。新嘗祭は、その年新たに収穫された五穀を、天皇自らが天神地祇に勧め、自身もそれを食して、その年の収穫に感謝を捧げるものである。

 山本雅人『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)によれば、祭祀に臨む天皇は、御所で入浴してからだを清めた後、モーニングを着て宮中三殿に向かい、その構内にある綾綺殿(りょうきでん)で、「黄櫨染袍(こうろぜんのごほう)」という古式装束に着替え、祭儀に臨む。

 宮中三殿のなかで中心となる賢所には、天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天照大神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けた鏡が御神体として祀られている。この鏡は、「八咫鏡(やたのかがみ)」と呼ばれ、実物は天照大神の神体として伊勢神宮の内宮(ないくう)に奉安(ほうあん)されている。賢所にあるものは、その形代(かたしろ)、レプリカである。

 この八咫鏡のほか、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を合わせたものが「三種の神器(じんぎ)」と呼ばれる。それは、天皇の正統性の証であるとされてきた。

 八尺瓊勾玉は、御所にある天皇の寝所の隣、「剣璽(けんじ)の間(ま)」に、草薙剣の形代とともに安置されている。草薙剣の本体は、愛知県名古屋市の熱田神宮に祀られている。

■天皇さえ実物を見ることはできない

 戦前は、天皇が行幸する際に、八尺瓊勾玉と草薙剣については、皇居から持ち出され、侍従が携えていった。これを「剣璽動座(どうざ)」と言う。ところが、戦後になると、天皇の地方訪問の機会が増え、警備上の理由もあって中止になった。ただし、1973年に行われた伊勢神宮での式年遷宮(しきねんせんぐう)に翌年昭和天皇が参拝した際には復活した。

 三種の神器それぞれについては、焼失したとの情報もあり、現在伝えられているものが、古代からのものそのものとは言えない。ただし、天皇さえ実物を見ることはできず、その真偽を確かめることはできない。

 三種の神器のうち、八咫鏡と八尺瓊勾玉については、『古事記』や『日本書紀』に記された天照大神の岩戸(いわと)隠れの物語に深くかかわっている。

 八咫鏡の方は、岩戸隠れの際に、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)(日本の神の名前は多様で一つに統一できないので、本書では『古事記』にある代表的なものを用いる)が作った鏡とされる。天照大神を岩戸から引き出す際に、その姿を映し出し、そこに貴い神がいるかのように思わせるためである。

 八尺瓊勾玉の方は、同じ場面において、玉造部(たまつくりべ)の祖神である玉祖命(たまのおやのみこと)が作ったものとされ、八咫鏡とともに榊(さかき)の木に掛けられた。

 一方、草薙剣は、天照大神の弟とされる須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲でヤマタノオロチを退治したとき、その尾から出たものとされる。

 このように三種の神器は、神話の物語と密接に関係している。それは、天皇の存在自体が神話によって裏づけられていることを意味する。

■神聖性は皇祖神によって担保される

 初代の天皇は神武天皇であるとされる。神武天皇は、『古事記』では神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)と表記され、『日本書紀』では神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)と表記される。

 神武天皇は76年間在位し、亡くなったときには127歳になっていたとされる。並外れた長寿は、日本に限らず、さまざまな地域に伝わる神話に登場する英雄や偉人の特徴であり、それは、神武天皇が架空の神話的な人物であることを意味している。

 神武天皇の父は天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)であり、神であるとされている。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は、その叔母である玉依昆売命(たまよりびめのみこと)と結婚し、神武天皇は二人の間に末っ子として生まれた。

 さらに遡れば、神武天皇の祖父は火遠理命(ほおりのみこと)で、さらにその両親は、日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)である。日子番能邇邇芸命は、天照大神の子である天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)と、高皇産巣日神(たかみむすひのかみ)の娘である万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)の間に生まれたとされる。

 ただ、天忍穂耳命の場合、天照大神を母とするものの、天照大神から直接に産まれたわけではない。『古事記』には、高天原(たかまがはら)において、天照大神と須佐之男命が「誓約(うけい)」をする場面が出てくるが、須佐之男命が天照大神から受けとった珠(たま)を噛み砕き、そのときに吐き出した息の霧から生まれた5柱の神の一つとされる。

■「現人神」であるという信仰

 ここから、天照大神は神武天皇の祖神であり、皇祖神とされるわけだが、それは神話に語られたことであり、歴史上の事実としてとらえるわけにはいかない。

 ただ、こうした神話をもとにして、天皇は神につらなる存在であり、地上にあらわれた神そのもの、いわゆる「現人神(あらひとがみ)」であるという信仰が成立した。

 天皇のあり方について規定した日本国憲法においては、天皇を神としてとらえるような条文は含まれないが、その前身である大日本帝国憲法においては、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)とされていた。ここでは、天皇が神であると明言されているわけではない。しかし、天皇が神聖であることの理由を求めるならば、神につらなる存在であるというところに必ずや至るのである。

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