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zoom RSS なぜ「禁門の変」はあれほど激戦化したのか

<<   作成日時 : 2017/11/30 20:56   >>

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幕末から明治初頭にかけて、志と信念を持つ者が次々と刃に、あるいは銃弾に倒れ、多くの血が流れた。それほど多くの命を踏み越えねば、明治維新は成り立たなかったのか。維新までの軌跡を、京都・霊山歴史館の木村武仁学芸課長のナビゲートで追っていく。今回取り上げるのは、長州=朝敵を決定づけた「禁門の変」(雑誌『一個人』2017年12月号より)。

◆挙兵上洛するも戦に敗れ窮地に立つ“朝敵”長州藩

「八月十八日の政変」以降、長州藩は御所警備の任を解かれ、藩主親子の毛利敬親(たかちか)と定広は国許での謹慎を命じられていた。
 元治元年(1864)、6月4日、この日は奇しくも池田屋事件の前日だったが、長州藩は失地回復を目指して率兵上洛することを決定した。

「率兵上洛については、桂小五郎や高杉晋作らは、慎重な立場を取っていましたが、6月5日に池田屋事件が起き、長州藩にとって反撃の絶好の理由となったはずです。実際、6月16日、家老の福原越後が兵を引き連れて京へと進発していますが、出兵の理由はあくまで“攘夷を国是とする嘆願”と“毛利親子や五卿の赦免”としていました。しかし、その本当の目的は長州にとっての敵、君側(くんそく)の奸(かん)である、会津藩や薩摩藩を排除することでした」と木村さん。

 禁裏御守衛総督だった一橋慶喜は「大軍を擁して京都に迫るだけでも大逆行為である。追討するべし」と長州に対して強硬的な態度をとり、京都守護職の松平容保も同意見だった。孝明天皇も「昨年夏の政変は朕の真意である。今さら長州人の入京を許すわけにはゆかぬ」と言い、大勢が決まった。

「ところが武力討伐を唱えていたはずの慶喜が長州勢に対して撤兵の説得を開始します。慶喜の和平工作は暴発を遅らせる効果はありましたが、実は、逆に戦闘を大きくしてしまったとも言えます。なぜなら、その間に、長州兵や幕府側の兵を続々と京に送り込む結果になったのです。当時の京都の人口は約50万。そこへ幕府側の兵と、長州兵が集まったため。京はたいへんな騒ぎとなりました」。

 7月18日夜半、いよいよ長州藩は京都市中へと、三方から軍事行動を開始した。

長州藩伏見屋敷にいた家老の福原越後は、約700名を率いて出陣し伏見街道を北上したが、途中、大垣藩と交戦し、福原が狙い撃ちにされ顔面を負傷したことから、士気が落ち、伏見へ退却を余儀なくされた。一度隊を立て直し、今度は竹田街道を北上するも、彦根藩兵と会津藩兵に敗れて山崎まで退却し、京都市中に入ることさえできなかった。

 一方、洛西・嵯峨の天龍寺に陣を敷いていた家老・国司信濃(くにししなの)は、兵約800名を率いて、夜半に進発。中立売通(なかだちうりどおり)を東に進んで、下立売通(しもたちうりどおり)を進んだ来島又兵衛隊と蛤御門で合流した。
 蛤御門は会津藩が守っており、又兵衛は会津の林権助と激戦を繰り広げた。しかし西郷隆盛率いる薩摩兵が会津兵に合流すると、一気に戦況は長州勢に不利になり、又兵衛は馬上において鉄砲で撃たれて戦死した。
 指揮官を失った長州兵は、山崎方面まで退却する。

 また山崎に陣取っていた真木和泉や久坂玄瑞は、兵約500名とともに、堺町御門に迫り、越前、桑名、会津の兵と激しい戦闘を繰り広げていた。
 この時、久坂は築地塀を乗り越えて公家の鷹司邸に潜入したが、足を撃たれて歩くことができなくなった。結局、久坂と寺島忠三郎は鷹司邸内で切腹し、そこに会津藩が大砲を放って、鷹司邸は大炎上して崩れ落ちた。

 翌朝、鷹司家の中小姓である兼田義和がその場所にあった2人の遺骨を拾って一乗寺の詩仙堂に埋めたという。現在、詩仙堂には、久坂と寺島の位牌がある。久坂25歳、寺島22歳の若さだった。
 三方向から京都に攻め上った長州勢だったが、奮戦も虚しく敗退した。禁門の変は、別名「蛤御門の戦い」ともいう。
「もともと、八月十八日の政変によって長州は薩摩を恨んでいましたが、禁門の変によって両者の確執は決定的なものになってしまいます。たった1日の戦闘で、長州藩は250名以上の尊い命を失いましたが、それだけでなく、御所を攻撃したとして“朝敵”になってしまいます。このことが、その後の、第一次長州征伐、第二次長州征伐へと連鎖していくのです」。
 禁門の変によって、薩長の確執は深まり、幕末の動乱がさらに加速してゆく。

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