警備資料

アクセスカウンタ

zoom RSS タモさんもビックリ!?「猫の目」で歩くと街はこんなに隙間だらけ 猫ストーカー、護国寺に現る!

<<   作成日時 : 2017/04/17 09:09   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

隙間がないと生きていけない
 今年のお正月に私は「隙間を生きる」という1年の目標を立てた。

 いや、目標にしなくてもそんなような存在に近寄っていってしまうことを自分で認め、隙間的な場所や製品や存在や時間や乗り物や状態といった身の回りの隙間に、積極的にあたっていこうと思った。

 隙間的存在は、あいまいだし、重みがない。儲かりそうにない。分類の枠から漏れ出ている。「そういえばあったな」くらいにしか思われないおかげで見過ごされて自由でいられる。

 どっちでもなくてどっちでもあるもの。あいまいなゆえに統治されていないもの。そんな隙間的な場所では皆が油断しているように見える。だから私はとても気がらくで居心地がいい。

 具体的には、道ばたの「ご自由にお持ちくださいコーナー」や、昼ひなかの時間帯に喫煙所でもないのに背広の人々がタバコをぷかっと吸いにやってくるビル街の裏路地や、ご近所の人しか乗っていないコミュニティバスや、米穀店と古本屋を1軒でハーフ&ハーフに営んでいる店にも隙間的な良さを感じる。喫茶店のメニューの中にもありそうだ。

 そういうんじゃなくて、細い路地や、建物と建物の隙間もいい。いつか使うかもしれない家財道具置き場にされたり猫の通り道になったりしていて、活用する人は活用するし、無関心の人は気に留めないというどうでもよさが、私はとても心安らげる。

 そんなこともあって隙間的な存在は、この前あったのに次に行ったらもうなかったということが多い。廃止になったりきれいに整えられたり、その反対に人気が出て注目が集まって隙間的ではなくなったりする。

 私は隙間がないと生きていけない。息が詰まってしまいそうだ。しかもこのごろ隙間が無くなるスピードが速くなった気がする。

 そんな昨今、町を歩いて隙間的存在と出会えると、よっしゃあー!  まだいける! と生き返るような歓びがある。

タモさんもビックリ!?「猫の目」で歩くと街はこんなに隙間だらけ 猫ストーカー、護国寺に現る!
photo by Harumin Asao
護国寺で隙間さがし
 地下鉄に乗って護国寺へ行った日のこと。

 護国寺は講談社のある街だ。ネクタイをした人がぱっぱと歩いている。「VOCE 会場はこちらです」という案内板を持って歩道に佇む美人がいる。肩までの長さの髪を良く巻いてある。

 道幅の広い車のたくさん走る大通り。新建材でできたビルやマンションが建ち並び、すみずみまで人と経済の目が行き届いて、ノラ猫が憩えるような隙間はなさそうに見える。

 でも、こういうところこそ、隙間を見つけるのにもってこいの場所なのだ。隙間は、周りが堅牢であればあるほど光る……というか、生まれている。

 街の名前の由来になった護国寺は、今年で建立336年。東京都で最大の木造建築である。正面玄関のような仁王門をくぐる。本堂にお参りしようとしたら、まさにお坊さんが重い木戸を引いて戸締まりを終えたところだった。迦陵頻迦(上半身が天女、下半身が鳥)の天井画は今度また観に来たい。

 戸が締まっても一応お賽銭箱の前で拝んでいると、がちゃっ、がちゃっと内鍵を締める音がした。お寺も鍵を締めるんだな、と当たり前のことを思った。南無阿弥陀仏。仏さんも店じまい。

 よく肥えているけれど毛の汚れた猫が4匹、本堂を支えている太い柱でばりばり爪研ぎを始めた。私のことを猫おばさんだと思ったのか、期待を込めた眼差しで近づいてきたけれど、「あ、違った」と日なたに移って気持ち良さそうに寝ている。

 夕方の日光を一身に集めて、身体がふくらんだりしぼんだりしている。鼻の穴から生温かい呼気を吐き続けている。梅のつぼみがぷっくら開きそうだ。

 猫は都会の隙間を生きる名人だから、隙間的散歩としてはここで猫とあいさつをして、幸先がいい。

 お坊さんに護国寺の縁起をうかがった。

 五代将軍徳川綱吉の母・桂昌院がこのへんにお寺を建てたいなと抱いていた願いを、息子の綱吉公が叶えて、今の場所に小さなお堂を建てた。のちにもっと大きな本堂を建立して今にいたる、ということだった。
 
綱吉といえば生類憐れみの令。

 「猫はここにいたら絶対に安全ですね」と言うと、お坊さんは穏やかに

 「生類憐れみの令は犬だけでなく、人間のためでもあったんです。その頃は人間の赤ちゃんや老人が捨てられていたんですよ。綱吉は人間の戸籍をつくりまして、それと同時に犬、馬、牛にも戸籍をつくりました。生類憐れみの令というのは、人間より犬が大切だったように言われていますが、命を大切にしなくてはいけないということだったんです」

 と言った。

 「猫は、戸籍は? 

 「猫はもともとそのへんを行ったり来たりする生き物ですから、戸籍はいらなかったんでしょう」とお坊さんは面白そうに話した。

 「そうですね、家畜ってわけじゃないですもんね」

「東京市小石川區」
 惣門という別の門をくぐって外に出ると、門の横に看板が立っていた。「日本で最も伝統のある合唱団 音羽ゆりかご会」と書いてある。

 これはあれだ! 私が子どもの頃にテレビで度々見かけた、白い三つ折りソックスとベレー帽姿の清く正しい少年少女合唱団ではありませんか。護国寺だったんだ。

 自分と同じ年頃のきらびやかな子どもたち。テレビ画面の中で声高く歌っているのを見て、まるで遠い星に住むよい子たちを見ているような不思議な気持ちだったので、この看板はテレビ番組の小道具ではなく現実にある本物なのかな、と何度も見返してしまった。

 新大塚の方角に歩き出す。坂を下っていくような住宅地にさしかかる。新しい低層のマンションのあいだに古い長屋やもう商売をしていない町工場のような構えの家がぽつぽつ点在していて、散歩心をくすぐるいい雰囲気である。

 私の隙間探しのしかたはこう。歩くとき前をまっすぐ見ない。進む方角の左右の路地に何か感じるものがないか、すっすと目玉を動かす。上から下にも素早く動かす。私はこの目玉の運動のせいでウィンドウショッピングするのがすごく早い。
 
坂に入ってすぐの路地に、なにか突起物のある過剰な気配を感じた。突起物と思ったものは、コンクリで造作された動物や人間の顔の彫刻だった。

 古びた木造二階建ての家が建っており、その家のブロック塀に鹿、赤牛、鷲、象、マントヒヒ、鬼、おたふく、歯を見せて笑う猫、のけぞった狸のような生き物、庭木を齧ろうとしているきりん、フランスキャラメルの箱絵の少女に似た女の子の顔が架かっている。ホテルの大浴場でお湯を吐き続ける獅子の顔のようなサイズ、質感、重厚感がある。

 風雨にさらされてずいぶん寂れてきている。高いブロック塀の上のほうに作られているので、動物たちに睥睨されている気分におちいる。目玉はボタンやナットの三白眼。

 「おまえさん、わたしらに何か用でもあるのかい? 写真を撮るなぞ百年早いわ! とっとと立ち去れい! うははははは」とエコーを効かせた荘厳な声色で嘲笑されるような気がして耳を押さえたくなる。

 人様の家の造作をじろじろ観ているだけで、もうしろ暗い気持ちなのに。警備会社のシールが貼ってあるのも冷や汗なのに。

 彫刻は、作ったときは色鮮やかで人を愉しませる雰囲気だったのだろうか。それとも最初から魔除けの獣神のようなおどろおどろしいものだったのだろうか……どう受け取ったらいいのかわからないへんなものだ。でも、寂れてはいるが、とてものびのびとした表情だ。

 表札には昔の地名「東京市小石川區」と書いてある。お勝手口には、「日本赤十字社 社員」と書いたプレートが何枚も貼り付けてあった。

 これを見たのは久しぶりだ。町内で募金をするのが全国的に流行っていた時代があったのだ。私の子どもの頃に住んでいた田舎町にまで募金の回覧板がまわってきていたくらいだ。

知られざるランドマーク
 路地をじょうろを持った男の人が歩いてきた。

 「すみません、ここのお宅は芸術家ですか? と、悪い癖ですぐに人に訊いてしまう。

 「さあねえ、よくわかんないんだけど、今は誰も住んでないよ」と男の人は苦笑いをした。

 「えっ、誰か住んでそうな雰囲気ですけどね」

 庭木が荒れ放題ではないのでそう思った。

 「おばあさんがひとりでいたんだけど、急にいなくなったんだよ。10年以上前の話ね。ご主人はその前からもう見かけなかったね」

 「じゃあ、この彫刻はどなたが作ったものですか? 

 「息子さんが子どものときに作ったんじゃないかな。ヨーロッパに留学したみたいだけど」

 「写真、撮ってもいいでしょうか」

 「いいよいいよ。みんなばんばん撮っていくよ」

 お話ありがとうございます……お辞儀をした途端、男の人の表情がすっと消えて家の中に入って行ったらどうしよう、と思ったけれど、すたすたと路地の奥に歩いていった。

 作者は息子さんなのか。そう知った途端怖さが減って、動物たちが幼稚園の遊具に見えてきた。確かに、小学校の図画工作の教科書に載っていた粘土細工はどれも妖怪のような不気味な仕上がりだった。

 子どもは面白いものを作ろうとして丹精込めると怖い仕上がりになってしまうのだ。愉快愉快。こののびのびした彫刻が誰にも阻止されず、この路地にこのままあり続けてくれますように、と勝手に願った。

 表通りに戻ってまた歩きはじめる。枝分かれして斜めに入る小径があった。隙間ならそっちでしょう。ゆるやかな勾配がだらだら長い登り坂になっている。誘われるように入っていくと驚いた。小径の片側の路地という路地が階段になっている。

 路地だけでなく、家と家の隙間には必ず階段がついている。しかもいろいろなタイプの階段があった。3方向から合流して1本になる階段。爪先しか乗らない幅の薄い階段。石畳の階段。2本が民家のうしろで繋がっている階段、家々の隙間をねじれながら上に延びて行く階段。

 普請の真っ最中の階段もあるということは、それほどに生活必需品なのだろう。勾配型の地形に密集して建っている家と家の隙間を階段が這うように延びている。この家々の密集具合は、岩石の中に密集した水晶の原石のよう。

知られざるランドマーク
 路地をじょうろを持った男の人が歩いてきた。

 「すみません、ここのお宅は芸術家ですか? と、悪い癖ですぐに人に訊いてしまう。

 「さあねえ、よくわかんないんだけど、今は誰も住んでないよ」と男の人は苦笑いをした。

 「えっ、誰か住んでそうな雰囲気ですけどね」

 庭木が荒れ放題ではないのでそう思った。

 「おばあさんがひとりでいたんだけど、急にいなくなったんだよ。10年以上前の話ね。ご主人はその前からもう見かけなかったね」

 「じゃあ、この彫刻はどなたが作ったものですか? 

 「息子さんが子どものときに作ったんじゃないかな。ヨーロッパに留学したみたいだけど」

 「写真、撮ってもいいでしょうか」

 「いいよいいよ。みんなばんばん撮っていくよ」

 お話ありがとうございます……お辞儀をした途端、男の人の表情がすっと消えて家の中に入って行ったらどうしよう、と思ったけれど、すたすたと路地の奥に歩いていった。

 作者は息子さんなのか。そう知った途端怖さが減って、動物たちが幼稚園の遊具に見えてきた。確かに、小学校の図画工作の教科書に載っていた粘土細工はどれも妖怪のような不気味な仕上がりだった。

 子どもは面白いものを作ろうとして丹精込めると怖い仕上がりになってしまうのだ。愉快愉快。こののびのびした彫刻が誰にも阻止されず、この路地にこのままあり続けてくれますように、と勝手に願った。

 表通りに戻ってまた歩きはじめる。枝分かれして斜めに入る小径があった。隙間ならそっちでしょう。ゆるやかな勾配がだらだら長い登り坂になっている。誘われるように入っていくと驚いた。小径の片側の路地という路地が階段になっている。

 路地だけでなく、家と家の隙間には必ず階段がついている。しかもいろいろなタイプの階段があった。3方向から合流して1本になる階段。爪先しか乗らない幅の薄い階段。石畳の階段。2本が民家のうしろで繋がっている階段、家々の隙間をねじれながら上に延びて行く階段。

 普請の真っ最中の階段もあるということは、それほどに生活必需品なのだろう。勾配型の地形に密集して建っている家と家の隙間を階段が這うように延びている。この家々の密集具合は、岩石の中に密集した水晶の原石のよう。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
タモさんもビックリ!?「猫の目」で歩くと街はこんなに隙間だらけ 猫ストーカー、護国寺に現る! 警備資料/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる