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zoom RSS 生活保護63歳独身男性を苦しめる腰痛と貧困

<<   作成日時 : 2017/03/20 21:48   >>

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現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
※筆者留学の事情により一時中断していた本連載ですが、今回から再開します。

 乾燥機の中を紺色のジャージや下着がぐるぐると回っている。週に1度利用する自宅近くのコインランドリー。埼玉県内で生活保護を受けながら、独り暮らしをするタイゾウさん(63歳、仮名)は、単調な動きを眺めながらよくこんな物思いにふける。

 「女房がいれば、洗濯はきっとやってくれたんじゃないか。そうしたら、私は(彼女の)そばで好きな本でも読みながら過ごしていたかもしれない。結婚、しとけばよかったなぁ……」

 たそがれ時、わずかな洗濯物を抱え、痛めた腰をかばいながら猫背ぎみに歩いていく後姿は、頭髪の白さもあって実際の年齢よりもずっと年上に見えた。

 高校卒業後、大学受験に向けた予備校に通うため、故郷の秋田から上京。日本はちょうど高度経済成長期の終わりに差し掛かりつつあった。結局、希望する大学には受からず、そのまま東京で働き始めた。飲食店や健康器具販売、警備会社、運送会社――。20代のころのアルバイトから最近の日雇い労働まで含めると、これまでに20近い仕事に就いてきた。

 営業ノルマをこなせずに解雇されたこともあれば、人間関係に嫌気が差して正社員の仕事を自ら辞めたこともある。そうかと思うと、アルバイトとして入った会社の上司から「正社員にならないか」と誘われたことも何度かあるが、いずれも断った。

■バブル景気で仕事はいくらでもあった

 30代のころはバブル景気真っただ中。往時を「今とは違って探せば、すぐにまともな仕事が見つかる時代でした」と振り返り、正社員になる機会を逃したことについて「働くというのは、大きな建物のきれいなオフィスに出勤するものだという、根拠のない思い込みがあったんです」と後悔をにじませる。

 「いくらでも仕事があった」時代の潮目が変わったと実感したのは、2000年ごろ。長年、倉庫整理のアルバイトをしていた会社をリストラされたのだ。気がつけば年齢は40代半ばを超えていた。以降は望んでも正規雇用の仕事は見つからず、さまざまなパートやアルバイトの掛け持ちに加え、複数の派遣会社に登録して日雇い労働をこなした。

つねにダブルワーク、トリプルワークだった
 几帳面なタイゾウさんはこの頃、勤務先ごとに労働日数や賃金などがわかる自前の「出勤簿」をつけていた。大学ノートの記録を見ると、勤め先には派遣会社のほか、場外馬券場の警備員や公園の巡回監視員、郵便局でのアルバイト、斎場の駐車場などがあり、つねにダブルワーク、トリプルワークの状態だったことがわかる。手取りに当たる毎月の「支給額」は合計でおおむね十数万円にはなったが、日雇い労働しかない月などは「勤務日数」がわずか「3日」「4日」で、手取りが3万円を切ることもあった。

 家賃の安いアパートに移り、夏場の暑さは扇風機でしのぎ、冬場は石油ストーブで沸かした鍋の湯で身体を拭いて風呂代わりにするなどして電気代や水道代を節約したが、生活はカツカツ。将来への不安が募る中、ある運送会社の倉庫で、重さ50キロ近い商品のバスタブを持ち上げた瞬間、腰に痛みが走った。いわゆるぎっくり腰である。すぐに病院には行ったものの、クビが心配で会社にはしばらく報告することができず、週末に入れていた別会社の警備員の仕事もだましだまし続けたという。

 その後、運送会社の担当者から「腰を痛めたその日に申告しないと労災にはならない」と言われ、困り果てたタイゾウさんは個人加入できる労働組合(地域ユニオン)に相談。言うまでもなく、会社側の説明は虚偽であり、この労組とともに交渉したところ労災は認められた。が、腰痛を抱えながら働き続けることは難しく、契約の更新はかなわなかった。このため、生活保護を申請したのだが、今度は週末の勤務先から「生活保護を受けるなら、そっちで(面倒を)見てもらえばいい」などと言われ、こちらも雇い止めされた。

■毎月の収入は11万円前後

 腰痛は完治せず、ここ5年ほどは生活保護を受けながら、週末だけ各地の住宅展示場で案内看板を掲げる仕事をしている。保護費と週末のアルバイト代を合わせて毎月手にできるのは11万円ほど。ぜいたくはできないが、「毎日、温かいシャワーを浴びられるようになった。ぜいたくなことです」。腰痛を押してでも週末に働くのは、「(国民年金の保険料を支払うことができる)65歳まで保険料を払ってできるだけたくさんの年金をもらいたいから」だという。

 かろうじて生活が安定する一方で、平日は自宅に引きこもることが増えた。

 「1週間くらい誰とも口をきかないことがあります。そんなときは、頭がおかしくなりそうになる。結婚?  そりゃあしたかったですよ。でも、手元にまとまったカネもないような男が、結婚なんてできないと思っていました」

 これまで、結婚を考えるほど深い付き合いをした女性はいないという。私が、おカネは結婚後に共働きしながら貯めてもよかったのではないか?  まとまったおカネを得るためにも、「きれいなオフィス」などと言わずに正社員になればよかったのではないか?  そう問いかけると、タイゾウさんはしばらく考えた末、こう答えた。

植え付けられた「男尊女卑」の価値観
 「“小学生までは女の子のほうが男の子より優秀なこともあるけど、高校くらいになるとだいたい逆転するもの”だって。刷り込みとでもいうんでしょうか。小さい頃、両親からこう言われことが忘れられないんです」

 そういえば、彼はよく「男として」という言葉を口にした。「男として家庭を持つ」「男として経済力があれば」「男としての世間体が」――。現代の若者からは一蹴されそうだが、昭和20年代生まれのタイゾウさんが幼い頃に植え付けられた「男性は女性より優れていなければならない」とも聞こえかねない価値観に縛られたとしても、それは仕方がないことなのかもしれない。一方で、彼は最近、こんなふうにも思うようになったという。

 「若い頃に住んでいたボロアパートの隣人で、私よりも稼ぎの少ない男の人でも結婚して子どもを育てている人はいました。あの頃、いくら貧乏でかっこ悪くても、今、彼らには(老後の)面倒をみてくれる子どもがいる。子孫を残してる。世間的に見ても普通。結局は彼らのほうが“勝ち組”だったんだと、この年になってようやくわかりました」

 子どもが老後の面倒を見てくれるとはかぎらないし、家族のあり方を勝ち負けで評価することには違和感もあるが、それでも、取り返しのつかない過去を、ただ振り返ることしかできないやるせなさは、少しわかる気がした。

 それにしても、タイゾウさんが「まとまったおカネ」を得られず、結婚できなかったのは本当に自己責任なのか。何度かあった正社員になれるチャンスを棒に振ったのは事実だが、彼は決して怠け者ではない。途切れることなく働き続け、特に40歳代半ば以降は複数の仕事を掛け持ちして生きてきた。

■1990年代初めまでは「厚生年金」に加入

 タイゾウさんが見せてくれた「年金加入履歴」からは、むしろ「雇用の質の劣化」がうかがえる。1990年代初めまでは転職先ごとに「厚生年金基金」に加入していたことがわかるが、バブル景気崩壊以後は、国民年金加入を示す「第一号被保険者」という記載だけになるのだ。当時は非正規雇用とはいえ、勤務時間は正社員並みであるなど厚生年金の加入条件を満たしていた職場もあった。にもかかわらず、厚生年金への加入履歴がないのは、タイゾウさんの勤務先が保険料負担を避けるため、非正規労働者を厚生年金に加入させなかった可能性が高い。

 その後は、短時間の仕事を掛け持ちせざるをえなくなり、厚生年金どころではなくなるのだが、月によっては合わせて30日近く働いたり、身体に負担のかかる夜勤続きだったりもした。にもかかわらず、ボーナスや住宅手当といった福利厚生はゼロ。タイゾウさんが腰を痛めたのは、こうした無理がたたったせいかもしれないのに、会社側は当初、労災を認めようとしなかった。

 国や経済界は非正規労働の増加を「働き方の多様化」だという。しかし、そこまでして非正規労働を増やしたいなら、タイゾウさんが出合ったような社会保険料の負担を逃れたり、労災隠しをしたりするような企業は野放しにするべきではない。そもそも、掛け持ちしなければ生活できないような働き方が「多様化」と言えるのか。

彼は自身を「見栄っ張り」と分析するが…
 社会や会社から絞り尽くされたようにもみえるタイゾウさんだが、本人は「年金のことも、労災のことも私に知識がなかったんです」と言って身を縮める。彼は自身を「見栄っ張り」と分析するが、私には超がつくほど「まじめ」にも見えた。

 秋田に残った兄はずいぶん前に亡くなり、天涯孤独となった。もう何十年も故郷には帰っていない。最近、無性に故郷が懐かしくなることがあるが、「生活保護の身では何かと世間体が……」と言葉を濁す。年金保険料を払い終え、生活保護ではなく、年金で暮らしていけるようになってから、故郷に帰ることが、今の夢だという。

■「これをもらってほしいんです」

 タイゾウさんには自宅に近い私鉄駅前の喫茶店で話を聞いた。取材を終えようとしたとき、彼が「これをもらってほしいんです」と言って、私に1枚の白黒写真を手渡してきた。

 河原だろうか。パーマっ気のない髪に、ずいぶん昔にはやったすその広いパンツを履いた少女たちが座って弁当を囲み、屈託のない笑顔でこちらを見つめている。その後方ではにかむ男の子が1人。太い眉毛にタイゾウさんの面影がある。高校時代の遠足のスナップ写真だという。

 「知り合った人に時々、(写真を)お渡ししているんです。私が死んだという知らせを聞いた人のうち、100人に1人でいいんです。ああそんなやつがいたなと、思い出してくれる人がいればいいなと思って」

 写真は彼の生きた証しなのか。果たせないことが多かった過去への後悔、朽ちていくだけの将来への怯え――。そんな気持ちが少しでもやわらぐなら、と私は写真を受け取った。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

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