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zoom RSS 「道路を走る新幹線」はこんなに手間がかかる

<<   作成日時 : 2017/01/25 08:00   >>

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 工場で組み立てられた新幹線車両が、どのように鉄道会社の車庫へと運び込まれるか。巨大なトレーラーに載せられ、深夜の一般道を走行する姿をテレビで見たことがある人も多いだろう。本稿では愛知県豊川市にある日本車輌製造豊川製作所で製造された新幹線N700系が、約46キロメートル離れたJR東海浜松工場までどのように運ばれるのかを説明してみたい。
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 その作業は午前中に豊川製作所にて、完成した新幹線の車両をクレーンで吊り上げ、道路を走るためのタイヤ部分に接続することから始まる。先冒頭で「巨大なトレーラーに載せられ」と書いたが、厳密に言うと違う。陸を輸送するにはあまりに大きすぎるため、車輪部分の代わりにゴムのタイヤを付けた台車に乗せ、それをエンジン付きの牽引車が引っ張る。つまり、新幹線の車両自体が巨大トレーラーと化すわけだ。積み込みをするのは、日本通運・中部重機建設支店の精鋭10人。彼らが輸送と搬入すべてを担当する。

■冷凍マンモスを運んだスタッフ

 重機建設とは、日本通運内で巨大な資材を運搬する専門部署である。新幹線のほかにも発電所の巨大トランス、風力発電の羽根なども運ぶ。ちなみに2005年の愛知万博(愛・地球博)の際、シベリアから空輸された冷凍マンモスを名古屋空港から愛知県長久手市の会場まで陸送したのもこのチームである。午前中に1両、午後に1両、約2時間ずつかけて、新幹線車両はタイヤ付き台車に乗せられる。実際の輸送は交通量の少ない深夜だ。

 出発は午前1時。それまで彼らは宿舎である、豊川市のホテルに戻り睡眠をとる。これが16両を1日2両ずつ運ぶので最低でも8日間、昼夜逆転した生活が続く。ちなみに初日は16号車と15号車。これは博多へ向かう際の最後方、東京方面上りでは先頭になるわけだが、最終的にJR東海浜松工場から実際の線路へと出ていくときの順番を考えてのことだ。

 さて、N700系の車両は先頭車(1号車・16号車)が全長27.35メートル、その他の車両で25メートル。全幅は3.36メートル、屋根の上までの高さは3.6メートルもある。これだけ規格外に巨大なものを公道に走らせるには、当然警察および行政との許可・折衝が必要だ。そもそも新幹線を運ぶための車両が既製品であるはずもなく、先に述べたゴムタイヤ付き台車は日通が新たにゼロから製造したものだ。

 ゆえに国土交通省にて車検証を取得するところから始まる。そこで初めて公道を走れることになるのだが、当然、道路の使用許可が必要だ。国道なら国土交通省、市道は市役所、県道なら県庁とそれぞれ違った行政機関に出向く。

道路を走るにはどんな手続きが必要か
 しかも普通に願い出ても「そんな大きなものが走れるはずないだろう」と門前払いされてしまうので、日通と日本車輌が交通量を調べ、ルートを設定し、個々の交差点に関しては測量を行い内輪差等の計算をして図面を描き、「こうすれば曲がり切れますので」と説明するという。

 しかし、それをクリアしてもなお、実際に通行することは不可能だという。全長25メートル、高さ3.6メートルの巨大車両を通すには、公道にはさまざまな障害物があり過ぎるからだ。標識、看板、車線を分けるポールなどが障害物となってしまう。

■歩道橋を作り直すほうが安上がり

 障害になりそうなものは許可を得て、適宜、移動もしくは取り外し可能なものに交換する。日本車輌と日通では東北新幹線E2系の製造・運搬を請け負ったこともあるが、仙台車両基地に運ぶ際には市役所に交渉し、なんと歩道橋を高く作り替えた。なぜ、そこまでしてと思われるかもしれないが、歩道橋をくぐり抜けるためにパンタグラフなど上部の部品を取り外す手間、足場を組む費用などを考えると、歩道橋を作り直すほうがコスト的には安く上がるのだという。

 そして深夜1時、いよいよ出発となる。トレーラー1号車には新幹線16号車、トレーラー2号車には15号車が乗せられた。16号車は連結面を前、先頭部を後ろにした状態だ。危険回避のため、クリスマスのイルミネーションを思わせる電飾が車体全体に巻き付けられている。

 両車、メインのドライバーが2人に、後方のタイヤ操作をする「舵切り」という役目のスタッフが2人ずつ。これに運転助手等スタッフが3人ずつ。これらは日通中部重機建設の社員。さらに1号車、2号車にそれぞれ先導車、後導車、後方警戒車が3台ずつ続く。こちらの人員は8名で、外注の警備会社が担当する。あたかも深夜の新幹線輸送キャラバン隊といったところだ。「ブルルゥーンッ!」と、地響きのような音が鳴り響き、いよいよ大型トレーラーのエンジンがかかりスタートである。

 驚くのは深夜だというのに門の外には鉄柱を握りしめ、眼を輝かせて出発を見つめるギャラリーがいることだ。その数20人ほど。高級一眼レフに望遠レンズを装着した鉄道マニアの若者もいるし、スマホ片手のカップル、小学生くらいの子供の手を引いたお父さんの姿もある。

 日本車輌もJR東海も、輸送のスケジュールは一切発表していない。にもかかわらず、近所の人や鉄道ファンたちは、どこかからその情報をかぎつけ、毎回集まってくる。新幹線キャラバンが無事豊川製作所ゲートを出ると、ギャラリーたちのほとんどが自家用車に乗り込み、後を追う。ナンバーは地元豊橋、三河が多いが、中には滋賀、京都といった文字も見受けられる。

どのような行程を走るか
 新幹線は市道1号豊橋豊川線から県道400号豊橋豊川線、そこから県道387号清須下地線、県道469号白鳥豊橋線へと道の名称はめまぐるしく変わるものの、ゆるやかなカーブの一本道で進むが、やがて難所、守下交差点に差し掛かる。ここで初めてほぼ直角に左折するのだ。まずは先導車、後導車から誘導員が降り立ち、交差点四方の車をすべて止める。そして牽引車が限界までハンドルを切ってもなお、巨大な新幹線の車体は曲がり切ることは出来ない。

 そこで、前述の「舵切り」役の出番となる。リモコンで後方の車輪を動かし、ドライバーとの「あ・うん」の呼吸で車体全体を見事に左折させていく。このような交差点を2カ所曲がり切り、JR東海浜松工場正門前へ到着したのが午前4時。

■最大の難所は工場の入り口

 ここは全行程中、最も細い上下二車線道路。住宅街ということもあってか、夜中と早朝の間の時間にもかかわらず、どの交差点よりもギャラリーが多い。あちこちの家々から、小さな子供の手を引いたお父さん、お母さんたちが現れ、さながら近所のお祭りか盆踊りのようだ。ところが新幹線は、正門をくぐらず、門の前を通過してしまう。

 というのは、JR東海浜松工場は全体が細長い敷地で、東海道本線と平行に位置している。16号車をそのままの状態で搬入すると、先頭部分が1号車と同じ東京方面を向いてしまう。そこでバックから門を入り、あらかじめ博多方向へ向けておく必要があるのだ。

 やがて全長27メートルの車体がバックして来た。これだけの長いものを後進させるのは相当なテクニックだろう。しかも新幹線先頭車、あの特徴的な長いノーズを90度曲げて門を通過しなければならない。そしてこの門もやはり、この陸送計画が持ち上がった時点でギリギリまで拡げて作り直したという。

 誘導員が緊張した面持ちで門へと近づき、「残り1000、800、500」とミリ単位で車体と門の距離を測り読み上げる。これはドライバーにも「舵切り」役にも無線のヘッドセットを通して聞こえている。そうやって巨大車両を精密機械のように動かすのだ。

 バックと切り返しを繰り返すこと5回、時間にして50分弱。やっと新幹線のノーズは門を抜けた。時刻は早朝4時48分。かたずをのんでいたギャラリーからは歓声が上がる。大人たちは拍手をして、子どもたちは「スゲー!」「やったぁ!」と叫んだ。 つかの間の休息の後、彼らはまたN700系を運ぶ。事故なく、無事に。それだけを考えて。

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