警備資料

アクセスカウンタ

zoom RSS 【被災地を歩く】名取市の災害公営住宅 「ようやく安定した生活に」

<<   作成日時 : 2017/01/23 16:34   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

東日本大震災の津波で2100戸を超える住宅が流出した宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。名取川河口の海岸を背に内陸側へ進み坂を上がる。車道の両脇から土煙が立ち上がり、大型トラックが行き交う中、警備員らが誘導棒を片手に交通整理にあたっている。

 坂は4、5メートルのかさ上げ工事が施されてできたものだった。造成地では戸建てや集合住宅の建築工事が進められている。災害公営住宅のほか、自立再建する人たちの住宅建設工事も始まっている。

 ◆建設と入居進む

 閖上地区の災害公営住宅の建設は平成27年12月に始まった。市は集合285戸、戸建て238戸の計523戸の災害公営住宅の建設を目指している。現在、77の戸建て住宅が完成し、入居戸数は68。残りは30年12月の完成をめどに建設を進めるという。

 このほか市内では、美田園北地区で92戸が完成。高柳地区では建設予定の100戸のうち、半分が完成し残りは5月に完成予定としている。両地区では今月末にも完成済みのほぼ全ての住宅が埋まるという。

 「抽選の倍率は0・5倍。人気がないからすんなり入れた」。閖上地区に完成した戸建ての災害公営住宅に入居した専業主婦(72)はこう話す。

 ◆5年の仮設暮らし

 閖上大橋の下を流れる名取川沿いに建ち並ぶ災害公営住宅。住宅街の隣では市立閖上小・中学校の改築工事が進められる。

 女性は夫とともに昨年7月、公営住宅に移り住んだ。震災前に住んでいた閖上の自宅は津波で全壊。震災後3カ月は夫婦一緒に実家や息子夫婦を頼り、名取市や仙台市を転々とした。

 「状況が状況とはいえ、やっぱり気を使う生活だった」と振り返る。知人の勧めもあり、23年7月、閖上地区の住民の多くが移り住んだ名取市内の仮設住宅「愛島(めでしま)東部住宅」へ夫婦で引っ越した。以来5年間、仮設暮らしを続けた。

 「布団を2枚並べて敷いて寝られる。ゆったりできるのが一番よかった」

 仮設住宅から公営住宅に移ったのは昨年7月。手足を伸ばしてくつろげることが何よりうれしかったという。公営住宅には庭も付いている。昨夏にはサニーレタスや大根などの種をまき家庭菜園が楽しめるようになった。

 近所には、津波で床上浸水するも全壊を免れた、娘一家が暮らす住宅がある。自動車の運転免許証は返納したが、「娘が通院の送り迎えをしてくれるので助かっている」。閖上地区の公営住宅に移る決心をしたのにはそんな背景もある。

 ◆住人との助け合い

 仮設住宅にいたころ、夫が倒れ、自宅に救急車を呼んだことがある。一人でどうしようかと慌てていたところ、異変に気付いた近くの住人が様子を見に来てくれた。

 「日頃から作った料理をお裾分けし合うご近所の人がいた。その人がそばにいてくれてありがたかった」と思い返す。同区画の公営住宅には、同じ仮設住宅で知り合った住民もいる。「少しずつ交流ができればよいです」と話す。

 新居から海へ約1キロ向かうと、海岸沿いに堤防が連なる。元日、公営住宅に移り住んで以来初めて、そこから初日の出を拝んだ。

 「20年以上暮らした閖上に戻って、ようやく安定した生活が始められる」。元旦に決意を新たにした。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
【被災地を歩く】名取市の災害公営住宅 「ようやく安定した生活に」 警備資料/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる