警備資料

アクセスカウンタ

zoom RSS ビートルズ来日50年 「シェー」をするジョン・レノンの衝撃

<<   作成日時 : 2016/07/08 20:08   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

1966年7月、中学1年生の筆者は、「特別番組 ザ・ビートルズ日本公演」(日本テレビ)の放送を見ていた。ラジオのヒットパレードで洋楽を聴くような中学生は皆、ビートルズのシングル盤レコードを何枚か持ってはいたが、日本武道館に行くほどではなかった。

「ビートルズ来日は、明らかに大人社会が今まで経験したこともない新しい潮流の出現に恐れおののいた、いわば畏敬の対象であったのかも知れません。武道館に行った少女たちはピュアな感性でビートルズを受け止めたのです」

 そう当時の日本社会の反応を考察するのは、宮永正隆さん(56)。『ビートルズ来日学』(DU BOOKS)の著者だ。

 同書では日本に向かう機内の様子を当時の客室乗務員の証言から再現したり、来日公演の台本や会場警備計画の内部文書、宿泊先の東京ヒルトンホテルのスタッフたちの証言など、豊富な写真、記事で埋め尽くされ、ビートルズ来日をめぐる出来事がまるでグランドホテル形式のドラマのように展開される。

●記者会見のユーモア

「記者会見はメジャーな新聞社や雑誌社が事前に呈示した質問を匿名でまとめたものを、記者協会の幹事社が読み上げていく代表質問形式でした。音楽雑誌の抜け駆けを許したくないが自分たちはビートルズに何を聞けばよいかわからないという状況での、いかにも日本的な解決方法が読み取れます。4人は硬直化した質問にきちんと答え、時にはジョークをまじえて切り返しそこにいる誰よりも成熟していることすら気づかずに、どこかビートルズを色物扱いで見下しながら進行していくさまは、日本のメディア、つまりは当時の大人社会のビートルズ認識がよく分かります」(宮永さん)

 その様子は先ごろNHKで放送されたドキュメンタリー「アナザーストーリーズ 運命の分岐点『ビートルズ旋風 初来日熱狂の103時間』」(2015年制作)で見ることができた。

 番組では、ビートルズ来日警備の責任者であった山田英雄氏(後の警察庁長官)も登場して当時を振り返りこう語った。

「すごい決意をもったファンの少女たちが相手ですから、学生デモとは違う崇高な警備で臨みました」

 出動した警官は延べ8370人、VIP警護級の厳戒態勢で、宿泊ホテルに4人を閉じ込め、会場の武道館内にも2千人近い機動隊・私服警官を動員、観客が立ち上がることも制動するなど常軌を逸していた。

 こうした有無を言わせず指示に従わせるという警察の姿勢は、やがて盛り上がる学生運動・街頭闘争での群集・野次馬規制やサミットなどのテロ対策警備につながる。警察から見ればビートルズもファンたちも「秩序を攪乱する過激分子」だったのではないか。当時気鋭のルポライターだった竹中労を先頭にチームを組んで来日騒動を多角的に取材した記録『ビートルズ・レポート』(月刊誌「話の特集」臨時増刊、95年にWAVE出版から復刻)も、過剰警備の問題やビートルズとファンをバッシングする日本社会の異常さに切り込んでいる。

●ジョンの「シェー」

 ビートルズが来日した66年は、まだ戦後わずか21年、働き盛りの40代の男の多くは軍隊経験者という時代だ。大学生が漫画を読むのが「嘆かわしい風潮」としてニュースになり、エレキギターは騒音で、エレキバンドは不良、ビートルズの長髪が「モップ頭」などと呼ばれて大人たちの顰蹙(ひんしゅく)を買っていたのだ。

 中1の子どもだった筆者は、上の世代のエキサイトぶりにあこがれつつもマンガと怪獣に夢中になっていた。だからジョン・レノンが星加ルミ子(当時「ミュージック・ライフ」編集長)とともに「おそ松くん」でおなじみの「シェー」のポーズでおどけている写真は衝撃だった。音楽だけではない、ビートルズと自分たちが日常文化でちゃんとつながっていたのだった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ビートルズ来日50年 「シェー」をするジョン・レノンの衝撃 警備資料/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる